健康情報: 8月 2009

2009年8月29日土曜日

康治本傷寒論 第十一条 傷寒,脈浮,自汗出,小便数,心煩,微悪寒,脚攣急,反服桂枝湯、得之便厥,咽中乾,煩躁吐逆者,与甘草乾姜湯,以復其陽。若厥愈者,与芍薬甘草湯以其脚伸。若胃気不和,譫語者,与調胃承気湯。若重発汗者,四逆湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、脈浮、自汗出、小便数、心煩、微悪寒、脚攣急、②反服桂枝湯。得之便厥、咽中乾、煩躁吐逆者、与甘草乾姜湯、以復其陽。③若厥愈者、与芍薬甘草湯、以其脚伸。④若胃気不和、譫語者、与調胃承気湯。⑤若重発汗者、四逆湯主之。
※与甘草乾姜陽となっていたが、与甘草乾姜湯に訂正
※②~⑤は、四角で囲んだ2~5

[訳] 傷寒、脈浮、自ら汗出で、小便さく、心煩し、微に悪寒し、脚は攣急す。②反って桂枝湯を服す。これを得れば便すなわけつし、咽中乾き、煩躁吐逆する者は、甘草乾姜湯を与えて、以って其の陽を復す。③若しけつの癒えゆる者は、芍薬甘草湯を与えて、以って其の脚は伸ぶ。④若し胃気和せず、譫語せんごする者は、調胃承気湯を与う。⑤若しかさねて汗を発する者は、四逆湯これを主る。

この条文は5段に分けることができる。第1段の冒頭に傷寒とあるが、このような条文はこれが最初であるから、今までの条文とは性格を異にするものであることがわかる。『集成』では「傷寒の二字はひろく疫を称して言い、太陽傷寒に非ざるなり」といい、第1段の症状を見ると少陰病のようにも見え、また太陽病のようにも見え、いずれにもきめかねるから広義の傷寒という使い方をしていると説明している。私はこの解釈が正しいと思う。しかし他の書物では皆これと違う解釈をしている。『弁正』では「標して傷寒と曰うは以って上条の太陽中風に照らす(つきあわせること)も亦皆桂枝湯の変なり」というはっきりしない理窟を述べている。『解説』一八五頁では「傷寒の誤治がその影響するところ甚大で、しばしば危急状態に陥る実例を示している」とし、『講義』四一頁でも「茲には桂枝湯の誤治を挙げて其の救逆の法を論じ」ているとし、「傷寒は悪性にして、陰陽何れへも転変し易き病なり。第三章を承く。故に今傷寒を以って冒頭と為す」とする。しかしこの両書とも第三条の解釈で、太陽傷寒は無汗であると説明しているのだから、ここで自汗出でとあれば太陽傷寒でないことになる。したがって少陰傷寒だと言うのであろう。『講義』で「茲には唯脈浮とのみ言いて、其の緊なるや、弱なるやを言わず」と論じているのがそれを意味している。『解説』一四一頁でも「もし脈緊にして汗自ら出るものは少陰病である」と述べている。ところが第一一条では脈が緊とは言っていないのだから狭義の傷寒だという根拠は何もないし、中風でも誤治をすると大変だという意味を含んでいるように解釈する方が実際的でもあり、また条文に即している。
この第1段の状態について治方を挙げていないのは何故であろうか。『弁正』では陽病に進む気配もあるし、陰病に進む気配もあるからまだ処方を挙げないのだという意味のことを論じている。脈浮は陽病を示しているが、発熱に言及していない。またその他の症状を見ると陰病のように見える。したがって陽病と断定するには脈が浮緊数でなければならないし、陰病と断定するには脈は浮緩弱でなければならない。その両方を包含してただ脈浮と言っているのだから、まだ処方を示す必要はないというわけである。しかし傷寒論は病名がきまらない時でも治療法を示すことが基本なのであるから、変化のあらゆる段階でも処方をきめることを教えた書物である筈である。そうだとすれば弁正の解釈はおかしなものになる。
私はこの第1段を練習問題だから解答が出ていないのだと見ている。アメリカの教科書には章や節ごとに必らず練習問題がついているのに似ている。それは知識を教えるだけでなく、知識を身につけされるには考えさせる必要があるからである。第一○条までの知識でこの問題を解かなければならない。何の処方を与えるかについて、『解説』では、桂枝加附子湯、芍薬甘草附子湯小建中湯が考えられるという。『集成』では附子瀉心湯。『弁正』、『講義』、『入門』では桂枝加附子湯。私は桂枝加附子湯が正解だと思う。したがって第七条と比較してみるとよいのである。
第七条で小便難というのに、第一一条では小便数(サクと読んで屡々の意)という反対の症状になっている。第七条では発汗剤を服用したために汗が止らなくなり、体液が極度に減少して小便難となった。そして悪風だけで熱感はないのだから少陰病であり、当然からだの内部は冷えている。したがって普通の少陰病では小便数(小便自利)にはる筈である。第一一条では自汗出でであるから前者にやや似ているが、脈浮とあるように陽病の性格をもっているから汗の出る程度は陰病の場合より少い。それで汗が出るために体液が甚しく減少することもないので、本来の小便数となるのである。
※少便数→小便数に訂正
脈が本来の沈でない理由は、第一一条は太陽病から第七条の少陰病に移る中間の状態にあると考えればよい。そのことを『解説』一八六頁では「太陽病の表証と少陰病の裏証とが相錯綜している」と解釈し、『講義』四二頁では「其の口を帯べることを言外に含みしなり」(さきに、傷寒といい、ここでは中風だというのもおかしなものである)と表現している。そうすると第四条の太陽中風で陰弱なる時の症状と比較することになる。即ち「陰弱なる者は汗自ら出で、淅淅として悪風し、鼻鳴り乾嘔する者は桂枝湯これを主る」とよく似たところがあるので、第2段のはじめに書いてあるように桂枝湯を服用したのである。脈浮であるとはいえ、第四条よりも一層陰症に偏っているので、それは誤治になるのである。その楽果e「これを得れば便ち」と表現した。
第1段の最後の脚攣急は、脚は股の付け根より下のことであるから下肢に同じで、攣はもつれる意から手足のひきつれる意に転化し、急は第七条で説明したようにひきつれる意であるから、同意語を重ねたにすぎない。
便(すなわち)には更(改める意)の意味があるから、都合の悪い所を改めて良くするという使い方もあるが、ここでは反対に、状態がすっかり悪くなってという意味になる。同じすなわちでも則、乃とは意味がちがう。(けつ)は色々な意味があるが、ここでは手足が逆冷(先の方から冷たくなる)することで、厥冷とも厥逆とも言う。陰症の中でも悪質な症状の一つである。
咽中乾はのどがカラカラに乾くことであるが、第一○条のように煩渇と言わないし、口渇とも言わないのは、それらと症状は似ているが病理が異るためである。裏熱によって起るのが口渇、体液が減少したために起るのがこの場合の咽中乾である。ここでは自汗出、小便数のときに発汗させたのだから、体液は甚だしく減少している。
煩躁は『解説』一八五頁では「煩は自覚症状で、苦しい状態、躁は手足をしきりにさわがしく動かして苦しむ状」とし、「入門」六三頁では「煩のために四肢をばたばたさせること」と説明しているが、第一○で煩渇について論じたように、私は煩を「はげしい」の意味にとる。諸橋大漢和辞典を見ても、心配することを煩憂、気がふさがることを煩鬱、なやむことを煩悶、迷いのことを煩悩としていることからも根拠のある解釈だと私は考えている。手足をしきりに動かして全身で苦しむ状態であるから、熱症状を伴うので、陽病の甚だしい場合に現われるが、また反対に陰病の末期にも現われる。ここでは陰病の場合である。
吐逆にも二通りの解釈がある。第三条で説明したように、下からこみ上げるようなという意味を逆の字にもたせて、腹の方からむかむかと成て吐くこと。また逆は(口+屰)で、これは嘔のことだから、吐逆は嘔吐するすること。このどちらに解釈しても似たようなものになる。
この第2段の症状は陰病の非常に悪い状態になっていることを示しているから甘草乾姜湯を与えることになる。これは陰病で嘔吐するときに熱性の薬物で鎮嘔作用の強い乾姜と、急迫を治し、気を下し、温める作用のある甘草を併用するとよいということであり、このようにいわば対症療法的に薬物を用いることになっているが、これを原理的に考えると、陰の症状が重たいことは陽が軽くなっていることだから、寒冷を去って陽気を回復せしめれば陰陽のバランスが調うことにほかならない。これが以って其の陽を復すという表現になる。この陰陽の平衝とか、寒を治するには熱を以ってするとかいう考え方は素問や神農本草経における原則と全く同一であることに注目すべきである。これは傷寒論の著者の考え方の基本になっているだけで傷寒論の体系ではない。
第3段は手足の冷えと悪寒が治っても、第1段に示した脚の攣急が残っているから、鎮痙作用の強い芍薬甘草湯を与えれば、下肢の筋肉のひきつれが治り、下肢が伸びるということである。芍薬も甘草もそれぞれ鎮痛鎮痙作用をもっているから、これを併用すれば共力作用となってその作用が増強されるという経験から生まれた処方である。
第4段は胃気不和の解釈がむつかしい。胃は腸を指すという解釈をする人が多く、それは内実だから大便が硬い。したがって下剤を与えるのだとなる。しかし原文では胃気となっているのだから、やはり胃の症状と考えるべきである。邪熱が胃に入ったために、不和、即ち相応することができなくなり、食欲のなくなる場合もあり、むやみに食べる場合もある、と考えることができる。この邪熱がさらに腸に入るとうわごと(譫語)を言うようになる。このように消化管に邪熱が入った場合は下剤をかけることによって自然治癒力が発動するようになる、というのが調胃承気湯を与うということになる。処方名も胃を調えて気を承(たすく)けるとなっていて、便秘を治すという表現はない。うわごとを言う時は便秘していることは言うまでもないが、急性病では便秘を問診で確認することはできないであろう。脈診や熱状によってそれを推定す識ことになるだろう。
第5段は第2段で一度発汗剤である桂枝湯を与えて、そのために咽中乾、煩躁という陽病に似た症状があらわれたので、それと陽病だと誤認してもう一度発汗剤を与えたことを、かさねて汗を発すと表現したのである。一度目の誤治で少陰病になったのだから、二度目の誤治ではそれよりひどい厥陰病になることになる。したがって四逆湯を与えなければならない。四逆湯甘草乾姜湯の量を半分にして、熱薬の附子を一個加えたものであり、乾姜と附子という組合わせに意味があるのである。そのうえ炮附子でなく生附子を用いることが問題なのであるが、詳細は後に論ずることにする。

甘草四両炙、乾姜三両。 右二味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。
芍薬三両、甘草三両炙。 右二味、以水五升煮、取一升五合、去滓、分温再服。

[訳] 甘草四両あぶる、乾姜三両。右二味、水三升を以って煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服する。
芍薬三両、甘草三両あぶる。右二味、水五升を以って煮て、一升五合を取り、滓を去り、分けて温めて三服する。

ここには甘草乾姜湯芍薬甘草湯だけが記されていて、調胃承気湯四逆湯は省略されている。この理由について考察したものをまだ私は見たことがない。ただ『集成』で第4段と第五段は「けだし他条の錯乱して入りし者、これを刪って可なり」と述べているだけである。私は二味からなる処方についてだけ記されていることに大きな興味を感じている。処方をつくる立場では、薬効を増強するための配合が問題になることを教えようとしているように思える。桂枝湯およびその去加方を薬物の配合という立場から見よ、と言っているのではないだろうか。
傷寒論には桂枝を主薬としている処方、および桂枝を用いている処方が最も多いので、桂枝湯が衆方の祖であると昔から言われている。これは桂枝湯の方意を理解することができれば、傷寒論の他の処方の運用も自由になるという意味に解されている。しかし傷寒論には桂枝湯の処方構成と全く異なる、別の系列の処方も沢山あるのだから、桂枝湯を衆方の祖という根拠はない。桂枝湯の変方が一番多いのは、桂枝湯を例にあげて薬方のつくり方を教えているにすぎないのである。したがって桂枝湯の方意を理解するにはどのような見地が要求されるかということだけが問題なのである。
陶弘景が本草経集注を編纂するとき、神農本草経と名医別録のほかに、雷公薬対に記されていた配合に関する事項を細字双行、即ち註の形にして採用したことを、この第一一条と関係させて考えていることが必要なのである。
またそのような重大な問題をここで論ずるということは、第一一条までがひとつの段階になっていることを示している。宋板においても、太陽病は上中下に分けてあるが、この条文が上篇のおわりに位置していることを見ればよい。そうすると傷寒論の著者は語句の正しい意味を数条あとで示すというくせをもっていることを先に論じておいたように、ここにもそれがあらわれている。即ち第七条の「太陽病汗を発し」という冒頭の句、第九条、第一○の「桂枝湯を服し」という句の具体的な例が第一一条の第1段とそれに続く「反って桂枝湯を服す」という句に示されていることになる。
第八条の冒頭の「太陽病、下之後」について『講義』二二頁では「此れ太陽病と雖も、下すべき急証ありて先づ之を下す。故に其の下せるの誤治に非ざるを示さん為に、反って之を下しと言わずして、単に之を下しと言う。凡そ本書においては、反って下す、反って吐す等の辞を用うる所は、皆誤治にして、其の正証に反するを指摘せる者也」と論じているように、今までの傷寒論の研究家はすべてこれと同じ解釈を成ている。しかし私は誤治であろうと、なかろうと、どちらでも同じことだと解釈したいのである。それでよいことは九条で「桂枝湯を服し、或は之れを下して後」とあることで証明できるのであるが、臨床上の実際においてもそれで間違いはない。傷寒論における冒頭の句は内容が問題なのではなく、それによってその条文の位置や性格が規定されていると見るべきである。
芍薬甘草湯の調整の文の「水五升を以って煮て……分けて温めて三服する」は貞元本でもそうなっているが、宋板や玉函経のように「水三升を以って煮て……分けて温めて再服する」が正しい。このように直すべきである。こうしないと薬物の量に対して水が多すぎる。
なお調胃承気湯の処方は第二三条に、四逆湯の処方は第六二条に記されている。これらは桂枝湯と関係のない処方であることと、三味からなる処方であることから、ここでは省略されることになる。


『傷寒論再発掘』
11 傷寒、脈浮、自汗出、小便数、心煩、微悪寒、脚攣急、反服桂枝湯、得之便厥、咽中乾、煩躁吐逆者、与甘草乾姜湯、以復其陽。若厥愈者、与芍薬甘草湯、以其脚伸、若胃気不和、譫語者、与調胃承気湯、若重発汗者、四逆湯主之。

(しょうかん、みゃくふ、じかんいで、しょうべんさく、しんぱん、びおかん、きゃくれんきゅうするに、かえってけいしとうをふくす、これをえてすなわちけっし、いんちゅうかわき、はんそうとぎゃくするものは、かんぞうかんきょうとうをあたえ、もってそのようをふくす。もしけついゆるものは、しゃくやくかんぞうとうをあたえ、もってそのあしはのぶ、もしいきわせず、せんごするものは、ちょういじょうきとうをあたう、もしかさねてはっかんするものは、しぎゃくとうこれをつかさどる。)

(病気になって、脈が浮で、自然のままで汗が出て、小便が頻数となり、胸苦しく、少い悪寒がして、下肢がひきつれる状態であるのに、桂枝湯を服すような誤治をした場合、のんで直ちに手足が逆冷し、のどはかわき、もだえ苦しみ、嘔吐するようになった者には、甘草乾姜湯を与えると良い。それによって元気が回復させられる。もし手足の逆冷が改善した者には、芍薬甘草湯を与えるのが良い。それによって下肢は伸びる(筋肉のひきつれが治って)。もし胃腸の機能が具合悪くなり、(便秘して)うわごとを言うようになった者には、調胃承気湯を与えるのが良い。もし、更に発汗してしま改aたような者(更に重症になった者)は、四逆湯がこれを改善するのに最適である。)

この条文は、桂枝湯を服用させてはいけないことが明らかであるのに、服用させてしまった場合の対応策を4種類に分けて、具体的な薬方名をあげて論じている条文です。この対応策のすべてに甘草が使用されており、体内に水分をとどめる大切な役割りを果たしている点は特に注目すべきことでしょう。今は敢えて詳論しないことにしておきます。

11' 甘草四両炙、乾姜三両、右二味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。芍薬三両、甘草三両炙、右二味、以水五升煮、取一升五合、去滓、分温再服。

(かんぞうよんりょうあぶる、かんきょうさんりょう、みぎにみ、みずさんじょうをもってにて、いっしょうにごうをとり、かすをさり、わかちあたためてさいふくする。
しゃくやくさんりょう、かんぞうさんりょうあぶる、みぎにみ、みずごしょうをもってにて、いっしょうごごうをとり、かすをさり、わかちあたためてさいふくする。)

ここでは甘草乾姜湯芍薬甘草湯だけが記載されて調胃承気湯四逆湯は記載されていません。前二者はここのみにしか関連条文はなく、後二者はここの他にも関連条文があるからと思われますが、その他にも理由がありそうです。前二者は二味の湯であり、その湯名は全生薬湯名(Ⅰa、第12章参照)です。後二者は三味の湯であり、その湯名は薬効表示湯名(Ⅱc-(2) 第12章参照)です。
「原始傷寒論」の世界に限っては、湯名と条文との間に、一種の「法則性」があり、それが重要な特質になっていることは、既に第12章2項で述べた通りです。すなわち、生薬名を省略していく傾向は「正証」を論ずる基本条文に認められ、生薬名を残していく傾向は「変証」を論ずる条文に認められるという原則です。この原則に従えば、この第11条は後二者にとっては、その基本条文にはならないので、ここでは生薬配列が記載されなったのであると理解されます。

18・(4)
前項の第11条までで、桂枝湯に関連した様々な使い方やその服用後の異和状態の種々相についての改善策が色々と示されてきましたが、これ以後は「麻黄」を含んだ薬方の使い方と発汗後や瀉下後の様々な異和状態の改善策が示されていきます。


『康治本傷寒論解説』
第11条
【原文】 「傷寒,脉浮,自汗出,小便数,心煩,微悪寒,脚攣急,反服桂枝湯、得之便厥,咽中乾,煩躁,吐逆者,与甘草乾姜湯以復其陽,若厥愈者,与芍薬甘草湯以其脚伸,若胃気不和,譫語者,与調胃承気湯,若重発汗者,四逆湯主之.」

【和訓】 傷寒,脉浮,自汗出で,小便数で,心煩し,微悪寒し,脚攣急するに反って桂枝湯を服す.之を得て便ち厥し,咽中乾き,煩躁し,吐逆する者には,甘草乾姜湯を与え以てその陽を復す.もし厥愈ゆる者には,芍薬甘草湯を与えて以てその脚伸ぶ.もし胃気和せず,譫語する者には,調胃承学湯を与う.もし重ねて発汗する者には,四逆湯之を主る.

【訳文】 発病して(脉は沈微細緩に)浮性を帯び,(手足厥冷し) (自汗出で),小便数,心煩し,微悪寒し,脚攣急する(のは桂枝加附子湯の証である),これに反して桂枝湯を服用すると,たちまち厥冷が更に進行し,咽中乾き,煩躁し,吐逆します.その場合には(厥冷の回復を目的に)甘草乾姜湯を与えます.もし厥冷が治った(脚攣急だけ残った)ときには,芍薬甘草湯を与えます.もし発病して(陽明の中風で,脉は遅緩で,潮熱不悪寒し),仮性不大便(不大便)して譫語する場合には,調胃承気湯を与えます.もし発病して重ねて発汗を行った(四逆湯証をあらわしている)場合には,四逆湯でこれを治療します。

【解説】 この条文は三つの部分から成り立っています.先ず一つ目は,桂枝加附子湯証であるのに寒熱証の判定を誤ったため熱証(太陽中風)の薬を与えてしまい,そのために寒証(少陰中風)に移行した病態の治療方法を論じています.二つ目には,陽明中風の治療方法を論じています.三つ目には,厥陰中風の治療方法を論じています.
この四方剤を俯瞰してみると,熱性・寒性の薬物のみが入っていて,寒・熱の症候がはっきりと現れている者に使用されることが理解できます.
もう一つの解釈の仕方として,間違えた方剤を与薬したために出てきた随伴症状に対して,その症状を取り去る救済方剤を記載しているとも理解できます.ここでは寒熱の間違いを例示しています.桂枝加附子湯(寒証の少陰病に位置する薬方)証を呈している患者であるにもかかわらず,桂枝加附子湯から附子を取り去った桂枝湯(熱証の太陽病に位置する薬方)を与薬してしまったということです.すなわち小便数,微悪寒,脚攣急などの寒冷症状を呈している病態に熱性症状を呈している場合に用いる桂枝湯を与えたわけで(このことは寒・熱証を取り誤って診断したことになります),その結果随伴症状が発現したことが書かれています.条文からわかることは,四種類の症状(表1参照)が単独又は複合して出ているということです.

【処方】 甘草四両炙,乾姜三両,右二味以水三升煮取一升二合去滓分温再服.

【和訓】 甘草四両を炙り,乾姜三両,右二味水三升を以って煮て一升二合に取り,滓を去って分かちて温服すること再服す.

【処方】 芍薬三両,甘草三両炙, 右二味以水五升煮取一升五合去滓分温三服.

【和訓】 芍薬三両,草三両を炙り,右二味水五升をもって煮て一升五合に取り,滓を去って分かちて温服すること三服する.


カンゾウカンキョウトウ
証構成
範疇 肌寒緩病 (少陰中風)
①寒熱脉証 沈微細
②寒熱証 手足厥冷
③緩緊脉証 緩(浮性)
④緩緊証 小便数
⑤特異症候
イ厥 (乾姜)
ロ咽中乾 (脱汗)
ハ煩躁 (乾姜)
二吐逆(甘草)



シャクヤクカンゾウトウ
証構成
範疇 肌寒緩病 (少陰中風)
①寒熱脉証 沈微細
②寒熱証 手足厥冷
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 小便自利
⑤特異症候
イ脚攣急 (芍薬)


チョウイジョウキトウ
証構成
範疇 腸熱緩病 (陽明中風)
①寒熱脉証 遅
②寒熱証 潮熱不悪寒
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 仮性不大便
(下痢)
⑤特異症候
イ譫語 (芒硝)


シギャクトウ
証構成
範疇 胸寒緩病 (厥陰中風)
①寒熱脉証 沈遅
②寒熱証 手足逆冷
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 小便自利
⑤特異症候
イ背悪寒 (附子)

表1 寒熱証の取り間違いによる随伴症状とその救済方剤



配合生薬





随伴症状 救済方剤 甘草 乾姜 芍薬 大黄 芒硝 附子
手足の寒冷症状
咽中の乾き
胸部の違和感
手足が重だるい
嘔吐激しい
甘草乾姜湯



筋肉異常緊張
・痙攣
・こり
芍薬甘草湯



消化器系の異常
・下痢,便秘
・食欲不振
調胃承気湯


全身の衰弱 四逆湯




第1~11条までの総括
第11条までは,先づ太陽病(肌熱病)を2つの範疇症候(寒熱脉証,寒熱証)と,一つの特異症候(表熱外証)で定義をし,次いで太陽病中風と三陰三陽を通じての中風との二つの中風を,また次条で同様に二つの傷寒を述べ,太陽病を中風・傷寒の範疇症候(緩緊脉証,緩緊証)に2分割して,それぞれを定義して,急性熱性症状を持った病態を12に分類しておき,そして太陽病適応者のタイプ分け(緩証,緊証)を行ってから各論に入っています.
各論の冒頭には,最も基本型の条文構成をしている桂枝湯について,先に正証を論じる前にその変証について記述を行い,誤治がないようにと注意を促しています。
第6条では先の第12条の葛根湯と同じ範疇(肌熱病)内という共通部分における特異症候(項背強)での緩証,緊証の見分け方を区分(汗が出るか出ないのか)することで病状範疇の緩緊を完全に把握して処方を決定することについて説いているのです.ただいたずらに特異症候(この場合は項背強)だけを持ちだして処方決定することを戒めています.
第7条になると,二範疇内(太陽病と少陰病)にわたる範疇症候の変化(肌熱緩病から肌寒緩病)したいわゆる桂枝湯証に附子が加わることによって,太陽病位から少陰病位の薬剤に変化してしいるように,病態の方も熱範疇から寒範疇へと病が移行していく道筋(病道)を論じています.
第8条からは,誤治による病道病期の推移について記述しています.その一つは桂枝の特異症候が強く現れた気障害についての緩解方剤です.次に風邪引きの咳型から腺病質(肺病型)の微熱を伴った咳に変化した場合の水障害時に用いられる方剤を収載しています.この条は後に出てくる(第19条参照)麻黄剤を中心に記述している麻黄甘草杏仁石膏湯〔麻杏甘石湯〕との対比をすることで方剤を緩範疇に入れるものなのか緊範疇に入れるものなのか,その位置づけをしています。
第10条は,緊範疇(傷寒)に位置する方剤(白虎加人参湯)を取り上げていますが,第11条までの条文中では,緩範疇の方剤について述べていて,緊範疇の方剤は本条のみであります.ここに記載されている内容は,やはり誤治の救済方剤を例示していることです.太陽病緊証の患者に緩証の人に用いられる桂枝湯を与薬したために,種々の随伴症状があらわれ,その症状を緩解するためには熱緊範疇に位置する白虎加人参湯でしな救済できないことを述べています.
第11条では,寒証と熱証を取り間違った場合の随伴症状の発現があることを記述しています.これを拡大解釈して傷寒論方剤による随伴症状には,大きく4種(寒冷症状,筋の異常緊張,消化器系の異常,全身の衰弱)があることがわかります.またそれら4種の症状を緩解するための救済方剤(甘草乾姜湯芍薬甘草湯調胃承気湯四逆湯)まで記載されている親切さが見られます.
以上熱緩範疇に関係するものを記し,またそれに派生する症状や方剤について論じています.もう一つは誤治による救済について例を示して詳細に記述しています.

第11条までの収載方剤分類表
病期 中風
傷寒 治法
太陽病 桂枝去芍薬湯⑧
桂枝湯④⑤
桂枝加葛根湯


発汗
陽明病 調胃承気湯⑪-3

催吐・瀉下
少陽病 桂枝去桂加朮苓湯⑨



心熱


白虎加人参湯⑩
利尿
太陰病


瀉下
少陰病 桂枝加附子湯⑦
甘草乾姜湯⑪-1
芍薬甘草湯⑪-2


発汗・利尿
厥陰病 四逆湯⑪-4

利尿

康治本傷寒論 第十条 服桂枝湯,不汗出後,大煩渇不解,脈洪大者,白虎加人参湯主之。 

『康治本傷寒論の研究』
桂枝湯、不汗出後、大煩渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯、主之。

 [訳] 桂枝湯を服し、汗に出でざる後、大いに煩渇して解せず、脈洪大なる者は、白虎加人参びゃくこかにんじん、これを主る。

 不汗出は汗に出でずと読み、汗不出の汗出でずと区別する。汗不出は無汗と同じく、客観的に汗が出ていないことを意味し、不汗出は発汗剤を服用しても汗の出ないこという。ここでは桂枝湯を服用してもと言っているのだから、桂枝湯を発汗剤と見做しているのである。第五条で説明したように、桂枝湯は解肌剤であって発汗剤ではないという人が多いが、傷寒論でははっきりと発汗剤だとしている。そういう条文は宋板に特に多い。
 桂枝湯を服用しても、麻黄湯証や葛根湯証の人では発汗力が弱すぎるために汗が出ない。しかしここではそういう中風や傷寒ではないところの温病に用いたので当然発汗しないことを述べるために、大いに煩渇して解せずと言っているのである。
 煩渇は煩(胸部が熱っぽいこと)と渇(口がかわくこと)という意味ではなく、甚だしく渇するという意味である。それに大いにという副詞がついているのでその程度が特に激しいことを示している。『集成』に「煩の字に主用あり、兼用あり。煩、心煩、胸煩、内煩、微煩の如きは皆煩を主としてこれを言う。もし夫れ煩躁、煩渇、煩疼、煩熱、煩驚、煩満は煩を以って主と為さず。けだし兼ねてこれに及ぶ所の客証のみ。判(わか)ちて二証の為すは非なり。故に煩の字の句首にあるものは皆帯説の詞にして軽し。其の句尾にあるものは皆主用の証にして重し。安楽、苦痛、憂患、恐懼の如し」、とあるのが参考になる。解せずとは口渇や熱がとれないというのではなく、病邪が除かれないという意味である。
 口渇が甚しいのは、漢方病理学的に考えると、その原因は二つあり、体液(津液という)が著しく減少したときと、裏熱があるときである。ここでは発汗して体液が減少したのではないから裏熱によるものと考えられる。即ち陽明病になったと判断されるので、それを確認するために脈をしらべると洪大(いずれも大きい意)という力強いものであったので間違いないと結論して白虎加人参湯の適応証と言ったのである。
 今まで新しい処方がでてくると必ずその処方内容が示されていたのに、ここでは何も記されていない。そして第四二条で処方内容が明らかにされている。それは桂枝湯と全く異なった処方構成であるためである。したがって処方構成と症状との関係については後に説明することにする。
 ここで注文すべきことは、第五条(桂枝湯)、第六条(桂枝加葛根湯)が発熱と悪風の共存する場合であるから(+-)の組み合わせであり、そして第七条(桂枝加附子湯)、第八条(桂枝去芍薬湯)が陰病、即ち(--)であり、第九条(桂枝去桂枝加白朮茯苓湯)、第十条(白虎加人参湯)が温病、即ち(++)であることである。これは(+-)を中心に置いて、より陰に偏った(--)と、より陽に偏った(++)に言及しながら、病気の推移と治療法を述べていることになる。同時に桂枝湯を中心に置いてその去加方のつくり方を例示するという二重の目的を追求しているのである。傷寒論の著者の驚嘆すべき論理構成力の一端をここに見ることができる。
 この条文の2句目の不汗出は、宋板でも康平本でも大汗出となっている。『解説』一七二頁では別の条文についてではあるが「桂枝湯のような穏やかな薬を用いても大量の発汗があるほどの患者は相当な虚証であるから脈が洪大になる筈がない」と説明している。これは正論であるから、大いに汗が出た後で白虎加人参湯を与えることはできないことになる。それにもかかわらず同書一七五頁には「表証が去って裏熱をかもしてひどく口渇を訴えるようになった。即ちこの章は太陽病より陽明病に転位した例を挙げたのである」、といい、『講義』三七頁でも「一転して裏証と為れる者なり」、としている。しかし一転する理由が示されていないからこれでは納得できない。即ち大汗出は誤写によるものであることは明日である。
 『漢方入門講座」(竜野一雄著、一一九六頁頁では「大いに汗出でて後、大いに煩渇」を発汗過多のため胃内の水分が欠乏して、胃熱を滞びて煩渇する、と説明している。でたらめもよいところである。
 さて今までの条文の説明の中で表裏という術語を使用したので、原文ではずっと後でないと出てこないのであるが、ここでまとめて内外の説明をしておく。
 これまで色々な解釈がされているが、それを整理すると相対説と絶対説の二種になる。相対説とは、表裏と内外がそれぞれ相対的な関係にあり、表は指すところが狭く、外はそれよりも広的、しかも表をその中に含んでいるとする。また内は指すところが狭く、裏はそれより広く、しかも内を含むとすることである。図で示すとわかりやすい(第一図)。しかしこの立場をとる次の三書では必ずしも一致していないのである。
①傷寒論梗概(奥田謙蔵著、一九五四年)では、表は皮膚表面あたりを指す。
外はほぼ表に等しいが、表よりも広いところを指す。
裏は身体における最深部位、即ち姉化管のあたりを指す。
内はほぼ裏に等しいが、裏より広いところを指す。

②漢方診療の実際(大塚敬節、矢数道明、清水藤太郎共著、一九五四年)では、表は体表を意味する、即ち皮膚及びこれに接する部位を指す。
外は表と裏の一部を含む。
裏は内臓を意味する。
内は内臓のうち特に消化管内を指していう場合に用いられる。

③傷寒論入門(森田幸門著、一九五八年)では
表は皮膚(汗腺、皮下毛細管、神経終末器)と運動器(筋肉、骨、関節)を指す。
外は表と裏を含む。
裏は呼吸器(鼻、肺)、循環器(心臓、心管)、泌尿器(腎臓、膀胱)、消化器(肝、胆、膵)、漿液膜(脳膜、肋膜、腹膜)、中枢神経を指す。
内は消化管(胃、腸)。

即ち胃腸は①では裏といい、同時に内の一部でもあるが、②では内といい、同時裏の一部でもあり、③では内といい、裏には含まれない。このように表裏内外という基本的概念デモ、現代のわが国で最も権威ある人々の考えがこのようにちがうのであり、定説はない。こんな馬鹿な話はないのである。
 これに対し、絶対説とは相対的に変動したり、一部が他の部分に含まれたりはせず、それぞれが一定の部分を胃す説のことである(第二図)。この立場をとる荒木正胤氏は「五大説」において臓器と部位を次のように配当している。…④

  表-肺(肩背部、項頸部、頭面部)
  外-心、肝(胸郭部)
  裏-腎、膀胱、小腸、子宮(臍から下)
  内-胃、大腸、脾(心下から臍まで)

但し荒木氏は内と裏の部位を決めかねたようで、著述の年度によって変更させている。一九五八年からは④の内と裏を入れかえているから、これは⑤となる。そして一九六七年には再び④を採用している。
これを書名で示すと、次のようになる(表)。







   裏位  内位 
 「五大説」(一九四二年)
 漢方治療(初版一九五七)
 漢方問答・四九(大法輪一九六八)
  ④
白虎湯
大承気湯
 「漢方治療の実際(一九五八)
 漢方治療(再版一九五九)
 漢方治療百科
  ⑤
大承気湯
白虎湯


私は④の代に今までにない合理的な考え方があることを感ずる。頸、心下、臍という部分で上下に四分割しているので、そこには人体を円で表現する幼稚な考え方から脱出しようとする努力が認められる。しかし太陽病、少陽病、陽明病という三つの陽病の部位が上下に三分割したものであるのに、その上に上下に四分割したものをさらに重ね合わせ識という必然性がどうしてもはつ言きりしないのである。この不合理性は次のような形になってあらわれてくる。
 『漢方治療』二九頁に「細かく分けると、同じ太陽病でも、次のように区別することができる」として、
 「表位が虚して外が実する傾向にあるもの…………………………………桂枝湯
  表位が特に実し、外位もまた実する傾向のあるもの……………………葛根湯
  表位と外位がともに実するもの……………………………………………麻黄湯
  表位と外位とが非常に実したもの…………………………………………大青竜湯
と述べているが、これでは何のために表位、外位という概念を必要とするのかさっぱりわからない。このような煩雑さを伴うのはもうひとつ工夫が必要であることを示している。
 人体を円で表現することについてももっと疑問をもってほしい。円で表現するということは、胴体の横断面を円で示し、その平面にすべての臓器を投影してそれに表裏内外の区別をつけることである。昔の人は解剖学的知識もとぼしいので、頭の中で抽象的に考えた筈だから、円で表現してもよいなどと軽く扱ってはいけない。霊枢の胃腸篇には消化管の正常な長さを測定しあるし、その長さを表現する単位は先秦時代の物差しに一致していることを私は『現代人の漢方』(一九六二年)の中ですでに明らかにしている。また胃の大きさも容積も正確に測定している。したがって実際から甚だしく遊離した模型を考えたりすることをやめて、内臓を上下の関係で見るという合理的な考えを導入した方がよい。
人体は球形でなく上下に長い物体であるし、また人体の背面が陽で腹面が陰であることを考慮に入れると、表裏内外を第3図のように配当することができる。
 この考え方で、傷寒論の条文で表裏内外の字を含んでいるものの解釈をみると、今までのどの説よりも納得ができたのである。漢和辞典をひくと、表は外に同じとあり、裏は内に同じと書いてある。即ち同じ意味をもった表と外を人体の上部、即ち太陽病に用い、裏と内を人体の下部、即ち陽明病に用いていることは、太陽病を中風系列と傷寒系列に分け、陽明病を承気湯系列と白虎湯系列に分けることに対応することになるのである。後に詳細に説明するが、この関係は陰病にもあてはまる。傷寒論に部位を示す2種類の術語が存在する理由がこれではじめて明瞭になる。
 今までは表裏内外の定義が傷寒論に記されていないので、表は表面、外はそれより幅の広い外面、というように勝手な解釈をしてきたことに気がつくであろう。


『傷寒論再発掘』
10 服桂枝湯、不汗出後、大煩渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯主之。

  (けいしとうをふくし、あせにいでずしてのち、だいはんかつしてかいせず、みゃくこうだいなるもの、
びゃっこかにんじんとうこれをつかさどる。)

  (桂枝湯を服しても、汗が出ないで、そのあと大いに渇して苦しみ、病の治癒しないもののうち、脈が洪大であるようにものは、白虎加人参湯がこれを改善するのに最適である。)

 桂枝湯を服して、汗が出すぎて異和状態が生じた場合の改善策については、既に第7条で論じていますが、この第10条はそれとは反対に、桂枝湯を服しても汗が出ないで、その後に生じた異和状態の改善策について論じた第一番目の条文です。
 「一般の傷寒論」では「不汗出後」の部分が「大汗出後」となって、まさに正反対になっています。大汗が出て、大煩渇するようでしたら、体内水分はかなり減少しているのではないかと推定されますので、脈が「洪大」になるのは確かに考えにくい気もします。そこでこの部分はやはり「不汗出後」の方が良いように思えますし、実際に「康治本傷寒論」にこうなっていますので、この立場で考察していくことに致します。また、現実には、桂枝湯を服して汗が出ないで、色々な変証をおこしてくるものもある筈ですので、そういう場合の対応策も論じてあった方が、「原始傷寒論」としては、よりふさわしいことになります。
 なお、この条文のあとに、白虎加人参湯の調整法のこと(生薬配列を含まて)が出ていません。既述した如く(第13章)、「康治本傷寒論」では、発汗や瀉下の処置を経ていない正証を論じる条文の所に生薬配列を記載する傾向があり、発汗や瀉下の処置を経た「変証」を論ずる条文にはなくてもよいわけです。陥胸湯、四逆湯、真武湯など、「正証」の条文と「変証」の条文を持つものは、みな「正証」を論じる条文にのみ、生薬配列が記載されています。すなわち、その湯にとっての基本的な条文の所にその調整法が記載されているのです。したがって、この条文には白虎加人参湯の調整法が記載されていなくてもいいのだと思われます。

『康治本傷寒論解説』

第10条
 【原文】  「服桂枝湯,不汗出後,大煩渇不解,脈洪大者,白虎加人参湯主之.」

 【和訓】  桂枝湯を服し,汗出でずして後,大煩渇し解せず,脉洪大な識者は,白虎加人参湯これを主る.
       注:「不汗出」は宋板に従って「大汗出」に改めます〔章平〕.

  【訳文】  太陽中風に桂枝湯を服用して,大いに汗が出て後,少陽傷寒となって,脉は弦脈に洪大性を帯び,往来寒熱し,小便不利し,大煩大渇の証のある場合は,白虎加人参湯でこれを治す.

 【句解】
  大煩渇(ダイハンカツ):多分心煩と渇のことであろう.〔章平〕

 【解説】  第4条から第11条を通じてみると,この条に出てくる白虎加人参湯のみが傷寒(緊証)側の方剤であります.したがって,ここでは論じないのが本筋と思われますが,本来太陽病位の緊証の患者であるにもかかわらず,緩証と取り間違って桂枝湯を与薬したために,種々の随伴症状があらわれてきた場合の緩解方剤として誤治を集めたところに記載されているものと理解できます.
 すなわち白虎加人参湯は,緩証・緊証の見立てを間違って方剤を用いた場合に緩解する救済方剤と解釈できます。これを拡大解釈して,現代医学の治療薬の多用・乱用(代表的なものとして副腎皮質ホルモン剤などがあります)によって悪化した病態(アトピー性皮膚炎など)に対するウオッシュ・アウトのための薬剤として応用できるのではないかと思います.

 【処方】  石膏一斤砕,知母六両,甘草二両炙,粳米六合,人参二両,右五味以水一斗煮米熟湯成去滓,温服一升.

 【和訓】  石膏一斤を砕き,知母六両,甘草二両を炙り,粳米六合,人参二両,右五味水一斗をもって煮て米熟し湯と成る.滓を去って温服すること一升す.


    証構成
  範疇  胸熱緊病 (少陽傷寒)
①寒熱脉証  弦
②寒熱証   往来寒熱
③緩緊脉証  緊(洪大性)
④緩緊証   小便不利
⑤特異症候
  イ大煩 (石膏)
  ロ大渇 (粳米)


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年8月27日木曜日

康治本傷寒論 第九条 服桂枝湯,或下之後,仍頭項強痛,翕発熱,無汗,心下満微,小便不利者,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

服桂枝湯、或下之後、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯、主之。

 [訳] 桂枝湯を服し、或いはこれを下して後、なお 頭項強痛し、翕翕として発熱し、汗なく、心下満し微痛し、小便不利する者は、桂枝去桂加白朮茯苓湯、これを主どる。

 傷寒論では字句の正しい解釈を後の条文で示すことが多い、ということを先に述べてあるが、第九条の冒頭の二句は第七条と第八条の冒頭の解釈に関係があるのである。
 第七条の太陽病発汗は第九条の服桂枝湯のことであり、またそれだけでなく或下之後でもあると読まなければならない。同じように第八条の太陽病下之後は或服桂枝湯と続けなければならないことを第九条が胃しているのである。
 『講義』三○頁のように第八条の下之後を「下すべき急証有りて之を下す」、と意味ありげな解釈をするよりも、下しても発汗させても、という解釈の方が文章上からも、また臨床的にも妥当なのである。
 は「依然として」という意味で、今までの桂枝湯証と同じ症状が続いているものとして頭項強痛と翕翕発熱をあげたのである。しかし桂枝湯証とちがう点をその次に列記している。まず第一に汗出ででなく無汗であ責、また悪風にも悪寒にも言及されていないこと。これは中風でも傷寒でもなく、温病、正確には太陽温病であることを示している。温病の初期には悪寒があるので、その時は桂枝湯を用いて治療をするが、さらに進行して悪寒がなくなれば桂枝を用いる根拠がなくなる。そして無汗については、次の心下満微痛、小便不利と一緒にして考えた方がわかりやすい。これが第二の問題である。
 『弁正』で「心下満微痛なれば則ち頗る結胸に似る」と言うのは、第三五条に「心下満し、鞕痛する者は結胸と為す」とあるからである。『弁正』では続けて「これ何ぞ小陥胸湯を与えざるか。曰く、これただ小便不利にあり」、と論じているが、これはおかしいのであって、成無己の「心下満微痛、小便利する者は則ち結胸を成さんと欲す」を受けたのであろうが、結胸は小便不利するはずである。しかし成無己の次の解説は良い。「汗なく、小便不利すれば則ち心下満し微痛す。停飲と為すなり」。それで茯苓と白朮を加えるというのである。
 停飲即ち胃内停水が各種の症状を引起こすことは多くの人が指摘しているところである。『講義』三九頁では頭項強痛、翕翕発熱、無汗に註をつけて「此の諸証は一見桂枝湯の証に類似せるも桂枝湯証に非ず。実は初めより心下停水の致せる所にして、即ち其の反射的症候に外ならず」、と言い、『解説』一八二頁でも「頭痛、項強とを診てすぐに葛根湯を投ずることは誤りであり、桂枝去桂枝加茯苓白朮湯、苓桂朮甘湯、真武湯によって心下の水をさばくことによって、頭痛、項強の治するものの多いことを忘れてはならない」、と言う。ここで心下というのは、普通はみずおちのあたりを指すとされているが、私はもう少し広く解釈した方が良いと思う。直腹筋と肋骨弓の交点附近まで広げてよいであろう。
 今まではこの処方は実際に使用されることは稀であるが、少陰病の主要な処方である真武湯を理解するために役立つと言われてきた。桂枝のかわりに附子を主薬とし、甘草と大棗を除いたのが真武湯であるからである。このような考え方が常識になっていたのだから、藤平健氏の「桂枝去桂枝加茯苓白朮湯証は意外に多い」(漢方の臨床 一九巻一二号、二九-三三頁、一九七二年)という論文は漢方界の啓蒙に大きな役割りをはたした。即ち感冒で葛根湯証によく似ているのだが、次のような状態のときにこの処方を用いるのであり、気をつけてみると意外に多いという。脈は浮大、または浮数。頭痛、項強。熱がたかく、顔が赤くなっている。無汗、小便少し。胃内停水、心悸亢進。全身が何となくだるい。背中全体が何となくうすら寒い。
 これについて私はこの処方は太陽温病の治療剤であるから、悪寒の全くない時にも用いると考えている。事実、第九条には悪寒について全く言及されていない。その点で感心するのは、『弁正』で太陽温病の治療剤である五苓散との関連を論じていることである。「然らば則ち何ぞ五苓散を与えざるか。曰く、此れただ小便不利ありて煩渇に至らず」、とあるのはまだ裏熱が強くない時に用いるものだと言う意味である。しかし桂枝を用いないのは、茯苓と白朮の力を専ら内に向けるためである、と論じているのは第八条の去芍薬の所で述べたように賛成できない。したがって五苓散に桂枝が用いられているように、この処方の場合も桂枝を加えても臨床上はさしつかえないと私は想像している。


芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、白朮三両、茯苓三両。 右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 芍薬三両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、白朮びゃくじゅつ三両、茯苓ぶくりょう三両。 右六味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。

 成無己は去桂を無視して、頭項強痛、翕翕発熱は邪気が表にあることだから桂枝湯を用い、無汗、心下満微痛、小便不利は停飲のためであるから白朮と茯苓を加える、と簡単に見ている。しかしこういう場合も実際にはあ識と考えた方がよいであろう。医宗金鑑では去桂は去芍薬の与し間違いだとしているが、論ずるまでもないであろう。
 私は去桂にはもう一つ別の意味があると思う。それは第八条の去芍薬とともに、桂枝湯の中の主要な薬物を除くことによる意味を考えさせるためである。そして第七条の加附子、第六条の加葛根とともに、桂枝湯の変方(去加方)のつくり方を教えるためである。

『傷寒論再発掘』
9 服桂枝湯、或下之後、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之。
  (けいしとうをふくし、あるいはこれをくだしてのち、なおずこうきょうつうし、きゅうきゅうとしてほつねつし、あせなく、しんかまんびつう、しょうべんふりするもの、けいしきょけいかびゃくじゅつぶくりょうとうこれをつかさどる。)
  (桂枝湯を服しても(発汗させようと)あるいは瀉下させた後でも、なお頭項強痛や翕翕とした発熱があり、さらに汗が無く、心下は満ちて微痛し、小便は不利であるようなものは、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は発汗したり或は瀉下したりしたあとの異和状態の改善策についての第一番目の条文です。前の前の条文(第7条)では、発汗後の異和状態の改善策に触れ、前の条文(第8条)では、瀉下後の異和状態の改善策に触れましたので、この条文では発汗後あるいは瀉下後の異和状態の改善策に触れたのであると思われます。極めて自然な著者の心情推移が感じられる気がします。
 「頭項強痛」と「翕翕発熱」は桂枝湯の適応症の時の症状に似ていますが、「無汗」は明らかに桂枝湯の適応症の時とは違います。さらに「心下満微痛」と「小便不利」があるのですから、桂枝湯は適当でなく、それから桂枝を除いて、白朮・茯苓が追加されている形態の薬方が使用されているのは誠に合理的です。
 伝来の条文群(第15章参照)の中では、芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯(C-3)となっていたものを、桂枝湯を基準にして名前を変更すれば、当然このようになるわけです。古代人の原始体験としては、「心下満微痛」があるので、芍薬甘草生姜大棗湯で改善していたのに、「小便不利」の症状が加わった者に対して、白朮茯苓を追加して改善した体験があったのでしょう。そして更に、その湯が「頭項強痛」をも改善していく、ということが経験されていったのだと推定されます。すなわち、生薬構成から推定しますと、「心下満微痛」と「小便不利」が、この湯の基本病態であるということになります。
 湯の名前から考えると、すなわち、桂枝湯を基準にして考えると、その一番大切なと思える桂枝を除くということは中々考えにくい面もあ識ので、去芍薬の間違いであるという見方もあるわけですが、湯の形成過程から考えれば少しも異和感は生じないことでしょう。
 この湯についての素晴らしい治験例報告が既に藤平 健先生によってなされています。(「漢方の臨床」第19巻12号29頁・S47)。大いに参考にしていきましょう。

9’ 芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、白朮三両、茯苓三両。 
  右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
  (しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、びゃくじゅつさんりょう、ぶくりょうさんりょう。みぎろくみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 芍薬甘草基と白朮茯苓基を生姜大棗基が結びつけているような生薬配列をしています。湯の形成過程が見事に出ています。
 芍薬甘草基は「腹痛」を改善する作用があり、生姜大棗基は胃腸の異和状態を改善する作用がありますので、当然、芍薬甘草生姜大棗基は「心下満微痛」を改善する作用がある筈です。
 白朮も茯苓もそれぞれ利尿作用があるのですから、白朮茯苓基は当然「小便不利」を改善する作用がある筈です。
 従って、この両者を一緒にした薬方、芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯は「心下満微痛」と「小便不利」をともに持つ病態を改善する作用がある筈です。それ故、この基本病態の上に、「頭項強痛」と「発熱」と「無汗」の症状がある病態が、この場で改善されても良い筈です。これが原始体験というものでしょう。
 この芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯を、桂枝湯を基準に表現すれば、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯という名前になるのです。これもまた、桂枝湯が先にあって、それからわざわざ桂枝を除いて、白朮茯苓を加えたのではないのです。この点を見落とすと、「去桂枝」や「加白朮茯苓」について、色々な理屈がこねられるようになるのです。ものの認識の仕方が全く逆になるわけです。誠に困った事です。


『康治本傷寒論解説』

第9条
 【原文】  「服桂枝湯或下之後,仍頭項強痛,翕発熱,無汗,心下満微,小便不利者,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之.」

 【和訓】  桂枝湯を服し,あるいは之を下して後,なお頭項強痛し,翕として発熱し,汗なく,心下微満(痛)し,小便不利なる者は,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯これを主る.

 【訳文】  (太陽中風に)桂枝湯を服用して発汗したか,或いは(陽明中風)を下して後,(少陽中風となって) (脉は弦緩で)往来寒熱(発熱)し,小便自利となるべきに,前の発汗,瀉下のために汗はなく,或いは小便不利となって心下満,心下微痛する場合は,桂枝去桂加白朮茯苓湯で之を治す.

 【解説】  誤治による過発汗又は過瀉下のため,緩緊証の真の症候が崩れてしまった場合を記述しています.

 【処方】  芍薬三両,甘草二両炙,生姜二両切,大棗十二枚擘,白朮三両,茯苓三両,右六味以水七升煮取三升去滓,温服一升.

 【和訓】  芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜二両を切り,大棗十二枚をつんざき,白朮三両,茯苓三両,右六味水七升をもって煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.

    証構成
  範疇  胸熱緩病 (少陽中風)
①寒熱脉証  弦
②寒熱証   往来寒熱
③緩緊脉証  緩
④緩緊証   小便自利
       (無汗,小便不利)
⑤特異症候
  イ心下満 (茯苓)
  ロ心下微満 (白朮)


康治本傷寒論の条文(全文)

 

2009年8月26日水曜日

康治本傷寒論 第八条 太陽病,下之後,脈促胸満者,桂枝去芍薬湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯、主之。
 [訳] 太陽病、これを下して後、脈促、胸満する者は、桂枝去芍薬湯これを主る。

 太陽病であれば発汗剤を与えるべきであるのに、恐らく腹満に似た症状を伴っていたのであろう、下剤を与えたために、「後」とあるように、今までにない症状を引起こしたという書出しになっている。そこで判断に用うべき症状は脈促と胸満しか記されていないが、ここから漢方的病理により対策を考えなければならない。
 は催促の促であるから、せかせかした脈である。宋板の弁脈法には「脈来ること数(サクと読み、屡々という意味)、時に一止して復た来る者を名づけて促と曰う。脈陽盛んなれば則ち促」、とある。また腹証奇覧翼には「案ずるに胸中に事あるの証なり」とあるが、これらの解釈には根拠がない。『解説』一六三頁には「正気の不足によって起る脈」としているのは、時に一止すること、即ち脈が結代することを前提としておれば納得できるが、一六二頁に「時に一止する脈だとする説は誤りである」と書いてあるから、何故正気の不足とつながるのかよくわからない。多紀元簡も一止するのは促と言うべきでないという。『講義』三○頁には「促とは短促、即ち寛やかに舒び難き義なり。促脈は其の勢、病の相反して表に迫るの候にして、風陽病の下後、表未だ解せざるときに現るる脈候と為す」とあり、その他の文献を見てもいずれも適確な説明はない。私は気の上衝に対応する脈促と理解している。
 胸満の満は器に一杯に水を満たすことだから、そのような自覚症状は懣(もだえる)で示される。これは悶と同じ意味であるから、胸満は胸苦しいことになる。太陽病という状態には本来下剤を与えるべきではない。このような時に下剤を与えると腹部が空虚になり、臍下三寸の関元(丹田)の位置に蔵されていた気が動揺し、上に向って動くようになるというのが漢方的病理である。これを気が上衝すると言っている。気が臍下から上方に動決とまず胃の部分で動悸を感じ(これを心下悸という)、次の胸の部分で動悸を強く打ち(これを心悸という)、胸苦しくなる(これを胸満という)。次にコメカミの部分で動悸を打ち、顔面が赤くなり、頭痛が起る。
 『講義』では「胸満は下して後、客気上衝するの致す所」、と論じているが、客気とは外来の邪気のことであるから、第八条の場合は客気と言うべきではない。真気でも正しくない場所に移動すればそれは邪気になるから、臨床的には気の上衝に対して桂枝甘草湯を与えることが治療の基本になる。宋板に「発汗過多、其の人手をんで自ら心をおおい、心下悸し按ずることを得んと欲する者は桂枝甘草湯これを主る」、とあるのがそれで、この場合は客気の上衝である。この処方は桂枝四両、甘草二両の組合わせである。
 第二十条に「発汗の後、臍下悸して奔豚を作さんと欲する者は茯苓桂枝甘草大棗湯これを主る」とあるのは真気の上衝であり、この場合も桂枝と甘草の組合わせが使用されている。即ち真気でも客気でもどちらの上衝でもよいのである。
 第八条では桂枝去芍薬湯を用いている。それを『解説』では「腹満、腹痛を起した場合は桂枝湯中の芍薬を増量して桂枝加芍薬湯として陰を助け、この章のように、下した後に気が上衝して胸満を起したものには、芍薬を去って、陽を助け、桂枝の効を専一にする」とあり、『講義』三一頁にも同じことが論じてある。これは処方の考え方の間違いであって、桂枝の効を専らにするために芍薬を除去したと考えるのは正しくない。本来芍薬を使用する必要がないことを、桂枝湯を基準にして表現すると桂枝去芍薬湯となるにすぎない。芍薬が入っていても少しも邪魔にならないことは、宋板に「太陽病、これを下して後、其の気上衝する者は桂枝湯を与うべし」とあることでもわかる。『講義』二二頁にはこの条文について「桂枝去芍薬湯証は此の方より激しきこと更に一級なる者なり」、と註をつけているが、桂枝の量はいずれも三両で同じであるから作用に強弱はない。これは桂枝加桂湯としなければすじが通らない。ひどい偏頭痛のときに桂枝加桂湯を用いるとよいことは誰でも知っているが、この時も芍薬は桂枝の効の邪魔にはなっていないのである。
 第八条で生姜と大棗を用いているのは、胃腸を調え、薬物の吸収を良くするためである。第六条と第七条で桂枝湯にそれぞれ葛根と附子の一味を加えた変方を用いる形をとったので、第八条では芍薬の一味を除いた変方を用いる形を示したと見るべきである。
 芍薬を除くともうひとつ別の解釈をする人がいる。類聚方に「為則按ずるに拘急せず。故に芍薬を去るなり」とあるのがそれで、『皇漢』一一四頁ではこれに理由をつけて「本方証は誤治により腹力は既に脱弱し、直腹筋攣急せざるのみならず云々」と論じている。これは古方派流の腹診にこだわった議論にすぎないのであって、有用な意見ではない。

桂枝三両去皮、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。 右四味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
 [訳] 桂枝三両皮を去る、甘草二両あぶる、生姜切る、大棗十二枚つんざく。右四味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服する。


『傷寒論再発掘』
8  太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯主之。
  (たいようびょう、これをくだしてのち、みゃくそく、きょうまんするもの、けいしきょしゃくやくとうこれをつかさどる。)
  (太陽病で、これを下して後に、脈が促となり、胸満するようなものは、桂枝去芍薬湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は桂枝湯の変方の第三番目の条文です。また、太陽病を瀉下した後の異和状態の改善策としては第一番目の条文です。「脈促」については、色々言われていますが、どれもいま一つすっきりしません。筆者はこれを期外収縮の時の脈ではないかと推定しています。筆者自身の体験では、期外収縮の時は脈は一時とまってそのあと間隔がせばまったような感じの脈がきますし、こういう時には胸の方が一瞬、つまったような感じがします。これが多分、「胸満」と表現されている事柄ではないかと推定され得るからです。
 芍薬を去るという薬方に目をくらまされて、色々、論じる向きもおりますが、想像のし過ぎと思います。伝来の条文群にすでにあった、桂枝甘草生姜大棗湯をただこのように表現しなおしたのに過ぎないからです。

8’ 桂枝三両去皮、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。
  右四味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
  (けいしさんりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく。みぎよんみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 脈促と胸満を改善するのに主要な役割を果たすのは、桂枝甘草基であり、胃腸の機能の改善をするのが、生姜大棗基であると思われます。
 桂枝と甘草の組い合わせの湯(桂枝甘草湯)は、発汗後や瀉下後の「心悸亢進」を改善していく作用があるようですので、「脈促」や「胸満」などを改善する作用があっても良いと推定されます。また、生姜と大棗の生薬複合物は色々な胃腸の異和状態の改善作用があるようですので、この場合、瀉下後の胃腸の異和状態を改善するには、丁度、良いのではないでしょうか。そのような狙いがあって、桂枝甘草基と生姜大棗基は一緒に使われるようになったのではないかと推定されます。このように創製された桂枝甘草生姜大棗湯を、桂枝湯を基準にして表現してみれば、桂枝去芍薬湯という湯名になるわけです。すなわち、桂枝湯がまず先にあって、そこから芍薬を わざわざ 除いて、この湯を創製したのではないのです。この点を見落とすと、「去芍薬」というところに、色々な理屈をつけたくなるものです。ものの認識の仕方が全く逆になるわけです。誠に困った事です。

『康治本傷寒論解説』

第8条
 【原文】  「太陽病,下之後,脉促,胸満者,桂枝去芍薬湯主之.」

 【和訓】  太陽病,これを下して後,脉促,胸満する者は,桂枝去芍薬湯これを主る.

 【訳文】  太陽病(中風を発汗し,或いは陽明病中風を)下して後,(太陽病中風に留るか,陽明病中風となって)脉は浮緩に促性を帯び,発熱悪風し,汗が出て,胸満(胸で上衝が起こる)する場合には,桂枝去芍薬湯でこれを治す.

 【解説】  この条からは,誤治による治療法につ感て論じていて,先ず初めに桂枝去芍薬湯をあげて,より気症状がこうじた気障害に対して,桂枝湯の処方構成から芍薬を取り去ることで桂枝の特異症状が顕著に出るように配合生薬の加減をしています。

 【処方】  桂枝三両去皮,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘, 右四味以水七升煮取三升去滓,温服一升.

 【和訓】  桂枝三両皮を去り,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざく, 右四味水七升をもって煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.

    証構成
  範疇  肌熱緩病 (太陽中風)
①寒熱脉証  浮
②寒熱証   発熱悪寒
③緩緊脉証  緩 (促性)
④緩緊証   自汗
⑤特異症候
  イ胸満 (桂枝)


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年8月23日日曜日

康治本傷寒論 第七条 太陽病,発汗,遂漏不止,其人悪風,小便難,四肢微急,難以屈伸者,桂枝加附子湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発汗、遂漏不止、其人悪風、小便難、四肢微急、難以屈伸者、桂枝加附子湯、主之。
 [訳]太陽病、汗を発し、遂に漏れて止まず、其の人悪風し、小便難く、四肢微急し、以って屈伸難き者、桂枝加附子湯、これを主る。
 この第七条から第十一条までは第五条と第六条の附属する条文であって、基本条文ではないので、条文のはじめの部分の表現を違えてある。
 太陽病であれば発汗剤を与えて、汗を出すことにより解熱させるのが原則である。しかしここでは遂に漏れて止まずというのだから、その発汗剤が強すぎたか、あるいは量を過したために汗がとまらなくなり、急に陰病に転化したわけである。このときどのような発汗剤を与えたかについて、二つの解釈がある。
①『弁正』では「此れ上条の桂枝湯および桂枝加葛根湯を承けて、其のまさに陰位にゆく者を論ずるなり」、と解釈している。私はこれに賛成する。その根拠は第七条の位置と、後の第九条、第十条、第十一条に「桂枝湯を服成」という句が使われていることである。傷寒論では字句の解釈の仕方を後の条文で示すことがよくあり、これもその一つである。この流儀の効用は石橋を叩いて渡るように字句の解釈に慎重になることである。
①『解説』(159頁)では「太陽病の桂枝湯の証を誤診して、麻黄湯で発汗せしめたために」と説明している。『集成』、『皇漢』、『入門』も同じ解釈をしている。これは桂枝湯は発汗剤ではなく解肌剤であるという解釈をする立場にほかならない。しかしこの立場をとれば第九条から第十一条までに服桂枝湯という表現が共通して使用されていることが誤りになってしまい矛盾をきたす。そのほかに解肌とは発汗にほかならないことを証明することができるから、私は麻黄湯説を採用しない(和漢薬、三○○号、一九七八年、「解肌について」を参照されたい)。
『講義』(28頁)で「此れ本と桂枝の証なり。故に当に微汗して肌を解すべし。然るに微汗ならずして大量に発汗す。是に於て遂に陰位に陥らんとするなり」、という解釈で良いのである。しかし臨床上は麻黄湯を包含していることは言うまでもない。
 次は其人について。『講義』(26頁)では「端をあらたむるの辞。けだし其の証本来無かるべくして今有る者、或は偶々其の証を変ずる者、或はまた其の主証に加うるに更に客証を以ってする者、或はまた他の類証中より特に本病を選びて之を指す時等には、皆其人の二字を冠して其の端を更む」、と説明しているが、要するには「語の発端を改めて言い起こすところに用いる辞」(諸橋大漢和辞典)である。したがって太陽病であった人が汗が流れて止まらなくなり、今までとすっかりかわって次のような症状を引起して陰病になったという意味になる。悪風といい発熱を言わないのだから陰病なのである。
 陰病は体内に冷えがあるから本来は小便自利であるのに、ここでは反対に小便が気持ちよく出ない。その原因は汗を多く出したために体液が減少したことにあり、病的なものではないので小便不利と言努徒に小便難と表現したのである。
 四肢微急とは手足が少しくひきつれること。急は漢字語源辞典では及と同じで、追いかけて捕えること、追いつくこと、という意味から追いかける時の「いらいらした気持ち」を示しているという。それで次の以て屈伸し難しで筋肉痛のあること意味している。これを拘攣するとも言う。『皇漢』では「四肢微急して屈伸し難きもまた体液亡失のため筋肉の栄養失調せられしに由るなり」という。


桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、附子一枚炮去皮破八片。 右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
 [訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬三両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、附子一枚炮じ皮を去り八片に破る。右六味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 陰病であるから附子を加味したのである。重症のときは生附子を用いるが、このように軽症のときは炮附子を用いる。炮という修治法は湿めらせた小麦粉または湿めらせた紙で生薬をくるみ、熱い炭火の中に埋め、包んだ物が黄色に焦げてはじける程度にすることで、附子を炮ずると含有され仲いる植物成分の中で最も毒性の強いアコニチン系のアルカロイドが熱加水分解をうけて毒性の低いベンゾイルアコニチン等にかわり、さらに毒性のほとんどないアコニン等にまで変化する。即ち減毒附子を用いるのである。その作用は
一、冷え、虚脱状態を治し、
二、関節、筋肉等の疼痛を治す。
それで桂枝湯の強壮作用と共力する形となり、また鎮痛作用は桂枝、芍薬、甘草と共力し、鎮痙作用は芍薬と甘草で発揮される。『講義』(29頁)に「若し此の証、更に深く進行すれば芍薬甘草附子湯証に至るべし」、とあるが、深く進行になくてもこれを使用してよいと思う。

『傷寒論再発掘』
7 太陽病、発汗 遂漏不止、其人悪風、小便難、四肢微急、難以屈伸者 桂枝加附子湯主之。
  (たいようびょう、はっかん、ついにもれてやまず、そのひとおふう、しょうべんなん、ししびきゅう、もってくっしんしがたきもの、けいしかぶしとうこれをつかさどる。)
  (太陽病で、発汗したが汗が流れて止まらなくなり、その結果、状態がすっかり変わって、悪風し、小便が出にくくなり、四肢が少しひきつれ、屈伸し難くなったようなものは、桂枝加附子湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は桂枝湯の加味方の第二番目の条文です。第6条は陽病のままで項背の凝りが著名な場合でしたが、この第7条は発汗したあと、汗が出すぎて、多分、体液が激減してしまった場合すなわち、陰病に進んでしまった場合の対応策の一つについての条文です。桂枝湯に附子を加えた桂枝附子湯によって、発汗の過多がおさえられ、体内に水分が保持され、悪風や小便難や四肢微急や屈伸に伴う疼痛などが改善されるようです。附子にはこのような疼痛の改善作用がありますので、慢性関節リウマチや神経痛やその他の疼痛の改善に活用されています。
 本条文は「発汗過多」に対して改善策を述べた第一番目の条文です。そして次の第8条は「瀉下後」の異和状態の改善策についての条文となっています。

7’ 桂枝三両去皮 芍薬三両 甘草二両炙 生姜三両切 大棗十二枚擘、附子一枚炮去皮破八片。
  右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
  (けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる たいそうじゅうにまいつんざく、ふしいちまいほうじかわをらしはっぺんにやぶる。みぎろくみ みずななしょうをもってにて、さんじょんをとり かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 大棗のところまでは桂枝湯の時と全く同じです。附子を追加するところが相違しています。「炮」というのは修治法の一種で、湿った紙で生薬をつつみ、熱い炭火の灰の中に埋めて、熱を加えたものです。毒性を減じるものとされています。「原始傷寒論」の中での使い方を見てみますと、炮じない生の附子は乾姜と一緒にのみ使用されていて、それ以外はすべて炮附子が使用されています。その理由はまだ分かっていません。これからの課題でしょう。


『康治本傷寒論解説』
 【原文】  「太陽病,発汗,遂漏不止,其人悪風,小便難,四肢微急,難以屈伸者,桂枝加附子湯主之.」
 【和訓】  太陽病,発汗して遂に漏れて止まず,その人悪風し,小便難く,四肢微急し,以て屈伸し難き者は,桂枝加附子湯これを主る.
 【訳文】  太陽病中風を発汗して,汗が遂に漏れて止まらず(病症変化して,少陰病の中風となって,脉は沈微細,緩で,手足厥冷し、自汗があり),それがために小便は不利の状態となり,四肢が微急して屈伸しにくく,その人背悪感する場合には,桂枝加附子湯でこれを治す.
 【句解】
  手足厥冷(シュソクケツレイ):少陰病の熱型で,自覚的に冷えていることがわかる場合をいう.
  悪寒(オカン):悪寒には附子剤と石膏剤で訴え方に以下に記したような相違があります。
 ・附子剤の場合は,背中側の腎臓の位置するあたりから上部に広がった感じで,寒気を訴えます。
 ・石膏剤では,背微悪寒といって心臓の位置する背中側の極限られた範囲にあらわれます。
 また,小青竜湯にみられる「背寒冷手大如」は,心窩部の裏側(背部)に見られ,ちょうど手のひら大の範囲に寒気を訴える場合をいう.
 【解説】  この条は,太陽病から少陰病へ移行する病道パターン(桂枝湯証の方剤

 【処方】  桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、附子一枚炮去皮破八片,右六味以水七升煮取三升去滓,温服一升.
 【和訓】  桂枝三両皮を去り,芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り、大棗十二枚をつんざき,附子一枚を炮じて皮を破り去って八片となす,右六味水七升を以て煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.

 炮:和紙を濡らして,厚く包んで熱灰の中に埋めて蒸した状態で加工する方法をいう.

    証構成
  範疇  肌寒緩病 (少陰中風)
①寒熱脉証  沈微細
②寒熱証   手足厥冷
③緩緊脉証  緩
④緩緊証   自汗
⑤特異症候
  イ背悪寒 (附子)


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年8月21日金曜日

康治本傷寒論 第六条 太陽病,項背強几々,反汗出悪風者,桂枝加葛根湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、項背強几几、反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯主之。
 [訳] 太陽病、項背こわばること几几、反って汗出で、悪風する者は、桂枝加葛根湯これをつかさどる。

 これは第五条と互文をなしていることをすでに説明した。したがって項強には頭痛を伴っていろのである。そして第一条の状態からさらに病気が進展して第五条と第六条に分裂したのであるから、第五条が中風系例(中風ではない)であるとすれば第六条は傷寒系列となる。
 さて几几とは項と背が強ばることを形容した句であるが、これには二つの見解がある。
①几(しゆ)とい字を採用する説。中国でも日本でもこれを採用している書物が多い。諸橋大漢和辞典では「短い羽の鳥が飛ぶさま」と説明してある。大きな羽をもつ鳥は悠悠と大空を飛んでいる様に見えるに反して短い羽の鳥は頸と肩に力をこめて一所懸命に飛んでいる。これが筋肉の強ばりを形容することに使われているのである。藤平健氏は「几几の弁」(漢方の臨床、一六巻一二号、九四八-九五二頁、一九六九年)と題した論文で詳しくこれを論じた後に、後頭部から背中にかけて強直し、まるで一本の柱のようになっていることであるという説を紹介した。私はどちらの説でも大差はないと思っている。
②几(き)という字を採用する説。『解説』(151頁)では几は机と同じで、重くて動かしにくい意であるという。しかし几は漢和辞典では、おしまづき(ひじかけ)、祭祀に犠牲をのせてすすめる具、机、の三つの意味があるとなっている。これは皆小さくて軽いものである。机でも昔の書案(ふづくえ)、食案はどれも大きなものではない。したがって今多くの人が使用している重たい大きな机を考えて解釈することは適切ではない。もし几(き)と読むときは諸橋氏の辞典に几几は盛也、さかんなさみ、とある意味を用うべきである。
 次はについて。『解説』(152頁)では「あとから出てくる葛根湯証の項背強ばること几几、汗なく悪風するに対して、汗が出るので反ってと言ったものである。あとで葛根湯を述べるための伏線ともみられる」、といい、『講義』(20頁)では「然るに葛根湯証に於ては、汗無くして悪風するを其の正証とな為す。故に茲に反って汗出でて悪風する者と言いて以って其の葛根湯証に非ざるを明らかにする也」、といい両書とも全く同じ見解である。『弁正』でも、また中国でも同じ解釈をしている。
 しかし私はこのような類証鑑別式の読み方は文章の解釈だとは認めていない。第一に第一二条の葛根湯の条文と対比するにしても、反を除去してただ汗出悪風者としても一向に差し支えはないはずである。
 私はこの反は第五条に対するものだと考えている。即ち第六条では項強だけでなく背強まで加わり、それがさらに几几というのであるからその程度が甚だ強くなっているのである。そして汗についての陰陽は、無汗が陽で汗出が陰である。第六条のように陽の症状が甚だしい時は、全体もそれに影響されると思っていたが、予想に反して第五条と同じように陰の症状としての汗出と悪風を伴っている、という気持を反ってと言ったのある。それで発汗作用と鎮痙作用を強化した桂枝加葛根湯を使用するのである。このように解釈すれば第一二条(葛根湯)を引出さなくても反の意味を説明することができる。
 次はを挙げていない理由について。第五条で発熱を挙げているのだから、第六条にもそれがあってよい筈であるが、『弁正』では桂枝湯と病位を同じくしているので発熱を省略したのだと説明している。しかしこれは余り良い説明だとは思えない。
 私は次のように考える。第五条は症状の述べ方が、頭痛発熱、汗出悪風、というように四字づつになっているのに対し、第六条は五字づつになっている。この間に発熱の二字を入れると文の調子をくずすことになる。そして反ってと言って陽症の強いことを示しているのだから、陽症の発熱の存在を暗示したことにもなっている。それで発熱を加えなかったのであろう。

桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両。右六味、以水一斗、先煮葛根、減二升、去上沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬三両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、葛根四両。右六味、水一斗を以って先ず葛根を煮て二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 桂枝加葛根銀は桂枝湯の変方の形になっているから、ここで桂枝湯の処方構成から解析をすすめることにする。
 薬物はそれが一化合物であっても、一つの臓器あるいは特定の個処にだけ作用するのではなく、身体のいろいろな所に影響を与えるものである。まして生薬のように多成分からなるものは、その作用もまた多方面にわたることは言うまでもない。それを吉益東洞のように「能(作用)は一なり」と言うような見方をしたのでは、処方の意味がわかるわけがない。それは丁度東洞が傷寒論の条文はそれぞれ独立した文章として読むべきであり、他の条文と照合比較して解釈すべきではないとした態度と一致しているのである。したがって、東洞とちがい、条文を前後の条文と関連した読み方をすることが必要であったように、処方を構成する薬物もまた前後の薬物と関連させて見る必要があるのである。この立場がビュルギが詳細に検討し、薬理学的に証明したところの薬物の共力作用(シネルギズム)というものに一致するのである。
 まず個々の薬物の作用について考えるには本草綱目(一五九○年)、常用中草薬図譜(一九七○年)、臨床常用中薬手冊(一九七二年)、中薬臨床応用(一九七六年)等を利用するのが一番良い。残念ながらわが国の書物で役に立つものはない。中国の資料が良いと言っても、竜野一雄氏が「桂枝湯の構成」(漢方の臨床、一○巻一号、二二-三四頁、一九六三年)の中で「桂枝表の陽虚、衛虚、腎の陽虚、肺の陽虚を補い、それらによって生ず各種の表証、気上衝等を治す。芍薬は陰虚、栄虚を補い、また血虚によって起る筋急疼痛を治す」、と表現したような考え方に私は賛成できない。そのような解釈は思考を煩雑にするだけであまり得ではないと思うからである。右に挙げた書物から、桂枝湯の薬効を考えるのに直接関係のある作用だけをえらびだし、表にすると次のようになる(表)。









桂枝湯を構成する五つの薬物のうち、上の三つの桂枝、芍薬、甘草が主要なものであると私は考える。その中でも桂枝と甘草の組み合せは、宋板傷寒論の「発汗過多、其の人叉手して自ら心を冒い、心下悸して按ずることを得んと欲するものは桂枝甘草湯これを主る」で、気の上衝による心悸、頭痛に用いるものであり、芍薬と甘草は第十一条の「芍薬甘草湯を与えて以って其の脚を伸ばしむ」で、筋肉の攣急に用いるものである。
 共力作用の存在はこれ以外にも考えられる。悪寒には辛温の性質をもち温める作用を示す桂枝と生姜があたり、発熱には辛温即ち発汗解熱の作用を示す桂枝と生姜があたる。
桂枝湯は平素からやや虚弱な体質の人に用いることが多いのだから、桂枝、芍薬、甘草は何れも補う性質をもっているうえに生姜と大棗を加えて健胃作用を増強させている。それは第四条の乾嘔のように、直接に生姜の薬効が必要なときもあるし、発汗剤を服用して胃をそこなうことを予防する意味もある。
 桂枝加葛根湯は桂枝湯の変方の表現になっているが、実は主薬は葛根なのである。そのように見るべきであることは第十二条の葛根湯のところで明瞭になる。ただ変方の作り方を教えるための表現と見做すべきである。
このように処方の名称と薬物の配列順序が一致しているのは康治本と金匱玉函経であり、康平本、宋板、成本はいずれも葛根、芍薬、生姜、甘草、大棗、桂枝の順になっている。どちらが正しいかは一目して明らかである。
 葛根の薬効の中でここに関係があるのは次の二つだけである。
 一、散熱解表  二、潤筋解痙
そしていずれの場合も桂枝湯の薬物と共力作用の関係にあることは言うまでもない。


『傷寒論再発掘』
6 太陽病、項背強几几、反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯主之。
  
(たいようびょう、こうはいこわばることしゅしゅ、かえってあせいで、おふうするもの、けいしかかっこんとうこれをつかさどる。)
  (太陽病で項(うなじ)と背の強ばりが甚だしく、当然、汗は出ないはずであるのに、汗が出て悪風を感じるようなものは、桂枝加葛根湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は桂枝湯の加味方の初めての条文です。太陽病で「汗出て悪風」となれば第5条の桂枝湯の適応病態であることがまず考えられますが、ここに「項背の強ばり」が甚だしくなったものに対して、「葛根」を加味して対応することを教えているわけです。
 「几几」については、「几(しゅ)」という字を採用するか、「几(き)」という字を採用するか、二つの見解があるようですが、藤平 健先生の誠に貴重な報告「几几の弁」(『漢方の臨床』第16号12号16頁)に基づいて、「しゅしゅ」と読むことにしています。これは「まっすぐに立って動かない」の意を含む言葉だそうで、「項背強几几」は、「後頭部から、背中にかけて強直し、まるで一本の柱のようになる」との意味では「しゅしゅ」と読むのが正しい、とのことです。
 「項背強几几」のような状態を呈する時は、普通は「無汗」であるという認識が古代人にはあったのでしょうか。もしそうだとすれば、すでに「伝来の条文群」にもこの「反」という字があった筈です。一応、そのように解釈しておきますが、もし、「原始傷寒論」の著者のみがそのように認識していたとすれば、「反」の字はあとから追加されたものであったということになるでしょう。

6’ 桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両。右六味、以水一斗、先煮葛根、減二升、去上沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
  (けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、かっこんよんりょう、みぎろくみ、みずいっとをもって、まずかっこんをに、にしょうをげんじ、じょうまつをさり しょやくをいれ にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 葛根四両の前までは桂枝湯の調整法のところ(第4条文)と全く同じです。桂枝湯に葛根が入った時は、まず葛根を煮て、そこにあとから桂枝湯を構成する生薬を入れて煎じていく点が相違しています。
 葛根を先に煎じていくところに何か意味があるのだと思われますが、その意味はまだ不明と言ってよいでしょう。実際には葛根とその他の生薬を一緒に煎じてもそれほど差はなさそうです。


『康治本傷寒論解説』
第6条
 【原文】  「太陽病,項背強几々,反汗出,悪風者,桂枝加葛根湯主之.」
 【和訓】  太陽病,項背強ばること几々(キキ),反って汗出で悪風する者には,桂枝加葛根湯これを主る。
 【訳文】  太陽病(の中風)で,(脈は浮緩で) (発熱)悪風し,(葛根湯証に)反して汗が出て,項背強ばる症状がある場合には,桂枝加葛根湯でこれを治す.
 【解説】  この条では,第12条(太陽病中編の冒頭に)出てくる葛根湯との違いを明らかにしています.すなわち寒熱脉証,寒熱証,表熱外証の三つの条件は共通で,相違は緩緊脉証,緩緊証にあります。その中でも緩緊証(自汗,無汗)の完全な把握を説いています。
 【処方】  桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両,右六味以水一斗先煮葛根減二升去上沫内諸薬煮取三升去滓温服一升.
 【和訓】  桂枝三両皮を去り,芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざき、葛根四両,右六味,水一斗をもって先ず葛根を煮て二升を減じ,上沫を去り,諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.

証構成
  範疇 肌熱緩病 (太陽中風)
①寒熱脈証  浮
②寒熱証   発熱悪寒
③緩緊脉証  緩
④緩緊証   汗出(自汗)
⑤特異症候
  イ項背強(葛根)


康治本傷寒 論の条文(全文)

2009年8月19日水曜日

康治本傷寒論 第五条 太陽病,頭痛,発熱,汗出,悪風者,桂枝湯主之。


『康治本傷寒論の研究』
太陽病、頭痛、発熱、汗出,悪風者、桂枝湯主之。
 [訳] 太陽病、頭痛し、発熱し、汗出で、悪風する者、桂枝湯これをつかさどる。

 この第五条の構成は複雑ではないが問題点はいくつかある。まず第一に、太陽病は発熱が主徴であるから、第二条では太陽病発熱云々というように症状の最初に置かれていたのに、第五条では発熱よりさきに頭痛が置かれている。そしてそれに続く発熱、汗出、悪風は第二条と全く同じ順序になっている。
 この点について『講義』(19頁)では「頭痛を初めに挙ぐるは次章の項背強ばるに対し、本方の主徴なるを示さんが為なり」と言う。もしそうならば第四条で主徴である頭痛に言及しないのは何故であるか。これについては「前章には脈を挙げて頭痛なし。此の章には頭痛を挙げて脈なし。是れ相互の省略なり」、と言う。しかし私は第四条と第五条が互文をなしているという見方には賛成できない。あとで説明するようにこの両条は全く別の事柄を論じているのであって、対比するような関係にはないのである。『入門』(46頁)も『集成』も同じ論法を採用しているから賛成できない。
 また、第六条の項背強と対比させるために頭痛を最初にあげたという見方にも賛成できない。比較する句は二番目でも三番目でもどこでもよいのであって、はじめに置く必要はないからである。『講義』に「若し汗出でざれば麻黄湯証と区別し難し」、と述べている汗出は三番目に置かれた症状であるように。
 私は、第五条の頭痛と第六条の項強は対比させるためよりも、第一条の状態から、病気が進行してこの両条のように二つの病状に分裂することを論ずるためであると考えている。すでに第一条の頭項強痛の説明の中で、第五条と第六条が互文であり、頭項強痛が分裂して頭痛と項強の句がそれぞれ使用されたものであることに言及した。
 この互文の性格は、第三条で互文の説明をした②にあたる。即ち「二つの事項が二つのものに関係する時に、一つずつ一方に記す書き方」である。したがって第五条で頭痛としか表現していないが、実際は項強を伴なっているのである。『講義』で第五条は「第一条の頭項強痛の句を承け」ていると言いながら、頭痛が主徴であると言うことは論理上の矛盾をもたらす。
 とにかく頭痛を最初にもってきたことは読者にこれを注目してほしいからである。そしてそれが第一条の頭項強痛につながるという見方はやはり中国人の文章観を理解していないとわかりにくい。吉川幸次郎氏は『支那について』(一九四六年、秋田屋)という単行本の中でそのことを詳しく説明している。「過去の用例によって生れる語感に最も敏感なのは、恐らく中国人であろう。中国人の文章、少くとも中国の読書人の文章は、一一の言葉が、過去の用例を顧慮しつつ、というよりはむしろ、過去の用例の聯想によって生れる雰囲気を利用しつつ、綴られている。たとえば、『そういうことはあり得ない』という意味をあらわそうとして『未之有也』という四字が使われる場合、作者は必ず、論語の『不好犯上、而好作乱者、未之有也』という言葉を思い浮かべつつ綴っているのであり、読者もまた論語のこの章を思い浮かべることを要求されているのである。また『挙目』という言葉に出くわした場合には、必ず晋書の有名な挿話を思い出さねばならぬ。国都洛陽を北狄に攻めおとされ、遠く揚子江の夏にのがれた晋の名士たちは、あるうららかな日、名勝新亭に登臨した。名士の一人周顗は、一座を顧みていった。『風景は殊ならざるに、目を挙ぐれば山河の異なるあり。』挙目という簡単な言葉は、この挿話のもつ感慨を、どこかに蔵しつつ、下される。単に『ひとみをあげて向うを見る』ということではないのである。中国人の文章は、言言句句、こうした過去の用例の記憶を帯びつつ、並んでいるといっても過言ではない。文選の李善の注をはじめ、中国人の詩文の注釈には、作用の用いた一一の言葉につき、作用以前の用例が、事こまかに挙げてあるのは、しかるべき理由のあることといわねばならぬ」(228-229頁)と。
 したがって第五条の冒頭に太陽病とあるから第一条や第二条を承けている、という単純な見方でなく、頭痛、発熱等の一句一句について神経をゆきわたらさねばならないのである。
 次に第五条は第二条と関係があるという見方をすれは、第五条は冒頭に太陽病とあるだけであるが、これは太陽中風のことであるという解釈が生ずるであろう。事実第四条は第二条を承けているので冒頭に太陽中風としてある。何故第五条では中風という表現を用いないのであろうか。明記しなくてもわかるからであろうか。
 私の考えはこうである。もし第五条で風陽中風と書けば、それは第四条と同じようなものとして読者に受取られるであろう。現に第四条と第五条を互文と見做す説が多いのである。『解説』(150頁)では第四条の陰弱者汗自出を後人の註文として削除しているから第四条には汗についての記述がなくなり、「この章(第五条)もまた桂枝湯を用いる場合で、前章とちがって、汗が自然に出ている例を挙げている」とし、『講義』(20頁)でも「前章の者は必ずしも汗出です、此の章の者は既に汗出づと雖も、外未だ和せざるなり」、としているように。
 しかし私は五条以降は全く別のことを論じようとしていると理解しているのである。第二条の中風と第三条の傷寒は互文であるとはいえ対等に扱われていない。それは文章上、重症の傷寒を重大なものとして示す必要があったからである。ところが第五条と第六条は全く対等に扱われている。それは軽症と重症、あるいは良性と悪性といった形の分裂ではなく、病気の進行する系列のちがいとして表現しようとしたものと見做すことができる。そして第五条の系列に属する第一六条の青竜湯(宋板では大青竜湯)のところで突然太陽中風となっている。したがってこの中風の解釈について色々な議論が展開されるわけであるが、結論だけを言えば、中風には全く意味のつがう二通りの使用法がなされていることになる。一つは第二条、第四条での良性、軽症の熱性病という使い方、二つには系列を示す使い方。第一六条は後者に属する条文である。そこで第五条に太陽中風という表現を使用すると、誰でも第四条に関係すると受取ってしまうので、ここでは敢えて太陽病としか表現しないでいて、第一六条まで来てはじめてこれは太陽中風の系列であることを覚えるようにしむけたものとしか考えられない。そうでなければ青竜湯は重症の時に用いる処方であるから、それを中風と言えば、それは軽症の重症という馬鹿げた解釈をしなければならなくなるのである。
 傷寒についても広義(熱性病一般)、狭義(重症の熱性病)以外に、系列を示す用い方があるのである。傷寒論という書物は不思議なことに最も重要な術語である三陰三陽、表裏内外について定義した条文がひとつもない。しかもそれらの定義がはじめに記されていたのに、長年月の間に繰返された筆写の過程で失われたものとも考えられないので、あらかじめ定義をしたりせずに条文を書きつらねるのが傷寒論の著者のくせ、または流儀のように私は思える。またそれを裏書きするような例がこの康治本では何回もでてくる。これは条文の解釈には見のがすことのできない問題点であるから、その度にその事例を明らかにするつもりである。
 ところが中風と傷寒については、第二条と第三条で定義らしいものをしている。そこで傷寒論の研究者は皆それに飛びつき、その定義から一歩もはみ出さないように心がけるのである。しかし著者の流儀を考慮に入れると、その定義らしいものを遵守する必要はないように思える。その都度用語の意味を考えてみることの方が大切なのである。
 またこのような姿勢で傷寒論を読むことは、ひとつの条文の解釈に用いた論理を他の条文にもあてはめて行き、その適否を検定することにもなる。例えば『文章』で第一条の而悪寒を、接続詞で上の症状と結んでいるのでこの悪寒は孤立した悪寒ではない、としているが、そうならば第五条の而のない悪風は孤立した悪風であるのか、となり、さきの解釈の間違っていることに気がつくというぐあいである。
 次は汗出について。『解説』(150頁)では「このさい汗出の症状がないと、麻黄湯を用い識場合との区別がむつかしい」、『講義』(19頁)でも「若し汗出でざれば、麻黄湯証と区別し難し」、と同じ解釈がされている。条文の解釈を処方と関連させて、あたかも類証鑑別や検索的な見方をするのは、吉益東洞流の考え方が古方派には深く根付いていることを示している。
 私は頭痛と発熱は陽の症状(+)、汗出と悪風は陰の症状(-)であるから、第五条は(+-)の型の状態を示し、汗出の時は身体がそれほど強壮な人でないから穏やか発汗剤としての桂枝湯を服用させると解釈している。
 ところで桂枝湯は汗出の時に使用しているのだから発汗剤ではないという説をとる人がいる。『解説』(150頁)では「桂枝湯は発汗剤ではなく、体表の機能の衰えている時にこれを鼓舞する効がある。すなわち表の虚している時にこれを補うものである。だから第四章の場合のように、汗の出ていない場合に用いて、汗が出て癒るのは、表の機能が旺盛になったために気血の循環がよくなって、汗が出たのである。本章は汗の出る場合に用いているが、この場合に桂枝湯を飲むと、汗が止んで治癒に向うのである。これは表が虚して自然に汗が出ているために、桂枝湯で表を補ってやると、体表の機能が回復して正常に還るので汗が止むのである。だから古人は桂枝湯を解肌の剤といっている。解肌は肌を和解するの意である」、と論じている。『講義』(26頁)でも「解肌とは、肌表を其の位と為せる太陽病を和解すとの謂なり。此れ本来の発汗剤に非ざるを明らかにす」、としている。桂枝湯は一種の強壮剤であり、発汗剤ではないというのだが、薬物から見ると明らかに発汗作用を持っているから、強壮と発汗の両方の作用をもつ言ていると見ればよいのである。表虚や解肌という言葉を用いなくても桂枝湯の作用を説明することができる。


『傷寒論再発掘』
5 太陽病、頭痛、発熱、汗出、悪風者、桂枝湯主之。
  (たいようびょう ずつう ほつねつ あせいで おふうするもの けいしとうこれをつかさどる。)
  (太陽病で頭痛し発熱し汗が出て悪風するようなものは、桂枝湯がこれを改善するのに最適である。)
 この条文は太陽病で桂枝湯が適応する最も典型的な姿をすのまま素直に簡潔に述べています。太陽病ですので、第1条の定義からみても、頭痛や発熱や悪風(悪寒の軽いもの)などがあれば、これは症状が典型的にそろってきていることにな責ま功。この時「汗出」という症状がありますと、益々桂枝湯が適応する病態になることは臨床的にも十分納得されることです。

 もし、「汗出」でなく「無汗」の状態であったなら、やがて後に出てくる「麻黄湯」が適応する病態となることでしょう。

 
『康治本傷寒論解説』
第5条
 【原文】  「太陽病,頭痛,汗出,悪風者,桂枝湯主之.」
 【和訓】  太陽病,頭痛,汗出,悪風する者,桂枝湯これを主る.
 【訳文】  太陽病(の中風)で、(脉は浮〔①寒熱脉証〕緩〔③緩緊脉証〕で)発熱悪風〔②寒熱証〕し,汗が出て〔緩緊証〕,頭痛〔⑤特異症候〕する場合には,桂枝湯でこれを治す.
 *処方構成は前掲参照のこと.証構成は前掲の特異症候が頭痛(桂枝)に変わります。
 【解説】  この条では,桂枝湯の正証を述べています.


康治本傷寒 論の条文(全文)

2009年8月16日日曜日

康治本傷寒論 第四条 太陽中風,陽浮而陰弱,陽浮者,熱自発,陰弱者,汗自出,嗇々悪寒,淅々悪風,翕々発熱,鼻鳴乾嘔者,桂枝湯主之。


『康治本傷寒論の研究』
太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者熱自発、陰弱者汗自出、嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕発熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。
 [訳] 太陽の中風、陽浮にして陰弱、陽浮なる者は熱自ら発し、陰弱なる者は汗自ら出で、嗇嗇として悪寒し、淅淅として悪風し、翕翕として発熱として発熱し、鼻鳴り乾嘔する者、桂枝湯これを主る。

 第三条で脈陰陽倶緊の陰陽の解釈が問題であったように、ここでもはじめの陽浮而陰弱の解釈が一番むつかしい。
 太陽の中風という書きだしは第二条を承けていることを示している。
 陽浮而陰弱については脈の陰陽ととる立場でも、陰脈を寸口の脈とし、陽脈を人迎の脈、または趺陽の脈とするように場所のちがう脈だとする見方と、『解説』(143頁)の「軽按して陽の脈を診し、重按して陰の脈をみる」、とあるように同一の場所の脈とする見方がある。第三条で述べたようにこのような解釈は役に立たない。また『解説』ではその次の「陽浮者熱自発、陰弱者汗自出」を後人の註文であり、原文ではないとして削除している。『集成』では第四条全部を「王叔和の攙入の文にして仲景氏の語に非ざる也」、として無視している。乱暴な話である。
 『講義』(15頁)では陽病として進展するときは脈が浮で、陰病として進展するときは脈が弱であり、太陽中風といえども、陰陽転変することがあることを示したと論じている。大体においてこの解釈に賛成できるが、陰陽に転変するという表現は、『文章』の陰陽二途にわたって進展するという表現と同じように、読者に正確なイメージを伝えない中途半端な表現である。私はこれを分裂と表現したい。
 次の陽浮者熱自発、陰弱者汗自出を『講義』(16頁)では「陽における浮は、「陽における浮は、斯に熱自づから発するを知り、陰における弱は、斯に汗自づから出づるを知る」、と解釈しているのはこれを註文と見做すことと同じである。「自」という副詞は「それ自身の在り方として出て来る関係の意」と広辞苑に説明してあるように、ここは脈が弱であればあとで自然に汗ばむ、と解釈する方が良いと思う。
 嗇嗇悪寒より以下の句はすべての註釈書、解説書では陽病の症状として解釈している。それだからその中に悪寒と悪風の両方がでていることに当惑して、『弁正』では「或は悪寒し、或は悪風し」という意味だとし、『解説』(144頁)では「悪風と悪寒とを同時に挙げているが、この両者はいつでも併存しているのではない。どちらか一つがあればよい」、とし、『講義』(16頁)でも全く同じ意味のことを述べている。また『解説』(144頁)では「太陽の中風は単純な表証で、裏の変化を伴わないということを第二章で述べておきながら、ここに裏の変化のあることを思わせる乾嘔(からえずき)を挙げているのは、どうしたことであろう」、と論じている。以上のような解釈をするのであれば、『集成』のように「此の条の仲景氏の言に非ざること、また弁をまたずして得」、と言ってしゃあしゃあとしている方が良い位だ。
 文中に接続詞に「而」があるときには、その役割りをよく考えなければならないことを第一条で説明した。第四条では条文のはじめの方にこれが使用されているのだからなおさらである。陽浮而陰弱で陽病と陰病に分裂することを示し、しかも而を間に入れて対等に取扱われている。そしてそれに続く句ははじめ陽症、次に陰症のことを述べている。したがって第四条全体が陰陽を対等に扱っていると見做すと、その後もまた陽症、陰症、陽症、陰症と交互に句が続いている筈である。この見方で第四条の構成を示すと次のようになる。

         陽浮-熱自発-嗇嗇悪寒-翕翕発熱
太陽中風    而                         桂枝湯主之
         陰弱-汗自出-淅淅悪風-鼻鳴乾嘔

 こうすると今迄苦労した悪寒と悪風の問題はきれいに解決される。乾嘔も納得できる位置に納まっている。そして而という接続詞が非常に良く効いていることがわかる。
 ここまできてはじめて『講義』で陰陽転変という表現を使用した意味がわかる。即ち陰証が現われる場合のあることを述べた部分は陽浮而陰弱であり、それに続く句は全部陽証のことにしているのだから、陰証のことは附記する程度の認識にすぎないからである。
 嗇嗇は悪寒を形容する語で、語源的には嗇は倉に取入れた穀物を大事にして出しおしむことである。けちのことを吝嗇というのはそのためである。出しおしむ姿はふところに抱きかかえる形である。これが寒がっている時の姿に似ているわけである。
 悪風を形容した淅淅は、析は分析と同じく分ける意味であり、淅は米を水に浸けて夾雑物を分けることである。そこで水に浸けられたようにしょんぼりして、元気なく寒がるという意味になる。
 発熱を形容する翕翕は、羽を合わせるという構成の字であるから、短い羽の鳥が飛立とうとするとき、羽を合わせて力を込めるようにするところから、あわす、集める、盛んなさま等の意味を生ずる。そこで熱がパッと出ることを示したのである。陽浮なる者は熱自ら発す、という句が前にあるのだから、その熱の出方をここで説明したことになる。
 鼻鳴乾嘔はこれを陽症とみるか陰症とみるかによって大変なちがいになる。『講義』では「鼻腔狭まりて気息に陰症とみなせば水鼻が出てズルズル音がすることになる。乾嘔は『解説』ではからえずきで、吐きそうにするが物の出ない状態をいうとある。さらに「平素、胃腸の弱い人は、感冒にかかっても、しばしばからえずきを訴えることがある」と述べている。これが陰証のことなのである。
 末尾の桂枝湯主之は「これをつかさどる」と読み、主は掌握することだから適応症であるという意味になる。語源的には主は灯火が燭台の上でジッと立って燃えるさまを示した象形文字であるという。そこで一定の場所にジッと立っているという意味から住、柱、駐という字がつくられた。傷寒論の場合はこれこれの症状のあるうちは桂枝湯がいつでも使用できるという意味になり、適応症という解釈が成立つ。
 『入門』(42頁)では「この湯を与うることが最も適切なる方法であるという意味」、と説明しているが、最も適切という表現は過大である。『講義』(16頁)では「与うる二物無し。即ち之を主として、他に用う可き薬方無しとの謂なり」、と説明しているが、これはさらに誇大された表現である。薬物の性質を良く研究すれば、他の処方でも使えるようになるのであるから、唯一無二の処方だというように過大に解釈することは間違っている。
 第四条ではじめて処方が指示されているが、第一条の陽病の発病時から、第二条の良性の太陽中風の初期状態、さらに第四条のように分裂して陰病に進展してもその初期状態であればひとしく桂枝湯を使用できる、と読めるのである。
 また太陽中風が陰病に分裂することを第二条でなく第四条で説明しているのは、形式上、第三条の太陽傷寒の方が陰病に分裂する可能性が大きいことを示したものである。このように解釈すれば第一条から第四条までが太陽病の基本問題を論じていることになるのである。

桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。右五味、㕮咀三味、以水七升、微火煮、取三升、去滓、適寒、温服一升。

『傷寒論再発掘』
4 太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者熱自発、陰弱者汗自出、嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕発熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。
 (たいようのちゅうふう、ようふにしていんじゃく、ようふのものはねつおのずからはっし、いんじゃくのものはあせおのずからいず、しょくしょくとしておかんし、せきせきとしておふうし、きゅうきゅうとしてほつねつし、びめいかんおうするものは、けいしとうこれをつかさどる。)
 (太陽病の中風のものでは、陽病にとどまるまるものは脈が浮であり、陰病に進むものは脈が弱である。陽病で脈が浮の者は熱がおのずから発するものであり、陰病で脈が弱の者は汗がおのずから出るものである。嗇嗇として悪風し、淅淅として悪風し、翕翕として発熱し、鼻が鳴り、からえずきするものは、桂枝湯がこれを改善するのに最適である。)
 嗇嗇は悪寒を形容する言葉、淅淅は悪風を形容する言葉、翕翕は発熱を形容する言葉です。条文の本質的な内容とは関係がありませんので成書を参考にしてください。
 この条文の解釈で、悪寒と発熱は陽病の時の症状であり、悪風と鼻鳴乾嘔は陰病の時の症状である、とする見方もあります。しかし、筆者は、太陽中風という言葉も、陰病という言葉もなかったと思われる時代の経験が既にあって、伝来の条文群になったと考えているものですので、悪寒も悪風も発熱も鼻鳴乾嘔も条文として、もともとあったものと見ています。そこでそのまま単純に解釈していっていいと思っています。また、鼻鳴と乾嘔があるとすぐそれが「陰病」であるというのは、少し無理なのではないかと思われますので、あまり、ひねくらずに素直に解釈しておきます。

4’ 桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。右五味、㕮咀三味、以水七升、微火煮、取三升、去滓、適寒温、服一升。
 (けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、みぎごみ、さんみをふしょし、みずななしょうをもって、びかにてにて、さんじょうをとり、かすをさり、かんおんにかなえ、いっしょうをふくす。)


『康治本傷寒論解説』
第4条
【原文】  「太陽中風,陽浮而陰弱,陽浮者熱自発,陰弱者汗自出,嗇々悪寒,淅々悪風,翕々発熱,鼻鳴乾嘔者,桂枝湯主之.」

【和訓】  太陽中風、陽は浮にして陰は弱なり,陽浮なる者は熱自ずから発し、陰弱なる者は汗自ずから出で、嗇々として悪寒し、淅々として悪風し、翕々として発熱し、鼻鳴乾嘔する者は、桂枝湯之を主る.
    注:康平傷寒論では,「陽浮者熱自出,陰弱者汗自出」の12字は補註となっており、また示旧傷寒論では,「太陽中風」以下の28字が欠字となっており28字の□印がおかれています.また4字以外はすべて「傍注」となっています。脉に陰陽を冠することはないのでこれを除き、脉の弱を緩の言い換えであるとして「脉緩」に改めて,これを傷寒論の一般条文構成に従って改文すると,次のようになります。

【改文】  「太陽中風,脉浮緩 汗自出 嗇々悪寒 淅々悪風 翕々発熱 鼻鳴乾嘔者桂枝湯主之.」(32字) [章平傷寒論]

【訳文】  太陽の中風で,脉は浮緩で,悪寒発熱或いは悪風発熱して,鼻鳴,乾嘔の症候のある場合は,桂枝銀でこれを治す.

【句解】
 嗇々(ショクショク):身がまさに縮まんとする意で,この場合悪寒の形容として用いられている.
 淅々(セキセキ):身に水をそそがれるが如き状態をいい、この場合悪風の形容として用いられている.
 翕々(キュウキュウ):発熱が軽微であることの形容.
 鼻鳴(ビメイ):鼻がつまって呼吸音が聞こえること.
 乾嘔(カンオウ):からえずきの意.

【解説】  第2条を受けて太陽中風の桂枝湯の変証を先に述べています.

【処方】  桂枝三両去皮,芍薬三両,甘草二両炙※1,生姜三両切、大棗十二枚擘※2,右五味、父咀三味以水七升微火煮取三升去滓適寒温※3服一升.

【和訓】  桂枝三両皮(コルク層)を去り,芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざく.右五味,三味を父咀(細切)して水七升を以て微火に煮て三升を取り,滓を去って寒温に適し温服すること一升す.

 ※1:炭火に近付けて炙る(採りたての時は炙る必要があるが,使用するまでの間に乾燥してしまった場合には炙る必要はない[章平])
 ※2:読みは「つんざく」で,さくことを意味している.
 ※3:熱からず冷たからずの温度のこと.飲みごろの温度の意.


処方構成
緩 緊

     気     水     水    血

     桂     生          大
熱                          肌
     枝     姜          棗

     甘                芍
寒                          部
     草                薬

      ケイシトウ


証構成
  範疇 肌熱緩病(太陽中風)
①寒熱脉証  浮
②寒熱証  発熱悪寒
       (悪風発熱)
③緩緊脉証  緩
④緩緊証   汗自出(自汗)
⑤特異症絡  (表熱外証)
  イ鼻鳴(桂枝)
  ロ乾嘔(生姜)



康治本傷寒 論の条文(全文)

 

2009年8月9日日曜日

康治本傷寒論 第三条 太陽病,或己発熱,或未発熱,必悪寒,体痛,嘔逆,脈陰陽倶緊者,名曰傷寒。



『康治本傷寒論の研究』
太陽病、或己発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒。

[訳] 太陽病、或いは已に発熱し、或いは未だ発熱せず、必ず悪寒し、体痛み、嘔逆し、脈陰陽倶に緊なる者、名づけて傷寒と曰う。

 この条文には或……或…という未定の接続詞、已、未、必、倶という副詞が使われていて複雑な構成になっているが、それらを除いて太陽病…発熱…悪寒…脈緊…傷寒というように拾ってゆくと第二条と互文をなしていることがわかる。
 互文とは漢和辞典によると「①二つの文または句で、一方に説くことが他方にも通じ、相補って意を完くする書き方。また②二つの事項が二つのものに関係する時に、一つづつ一方に記す書き方」、と説明してある。即ち第二条と第三条の関係は①に相当している。
 第三条の最後にこのような病気を傷寒と名付けると書いてある。病気の原因になる六淫(風、寒、暑、湿、燥、火)の一つである寒(寒邪)に傷られると読んでいるが、傷という字は漢字語源辞典(藤堂明保著)三五三頁には「ドンと打ち当って破損する」ことであるという。つまり寒邪という、風邪よりも悪質な邪気が全身にぶちあたってくることであるから、傷寒とは重症、悪性の熱性病であり、ここでは腸チフスを指している。
 われわれは傷を「きず」の意味にとり外傷、負傷などと使っているが、江戸時代にはそれは金創という字を使いはっきりと区別していた。外科医のことを金創医と呼んだ。これが正しい使い方なのである。
 まず、或いは已に発熱し、或いは未だ発熱せずについては色々な解釈がある。
①『解説』(140頁)では「悪寒は発熱に先行するから、熱がまだ出ない場合でも悪寒があり、熱が出ている場合でも悪寒がある。第二条に太陽病、発熱云々とあって、中風の熱が浅くて、発熱しやすいのに反し、傷寒の熱が深くかくれていて容易に発熱しにくいことを暗示している」、と解釈しているが、第一に悪寒が先行することは第一条ですでに論じてあるのだから、ここで再び繰返す必要はない。第二に『解説』(141頁)では「中風を単純な感冒とすれば、傷寒は悪性の流感や腸チブスのようなものである」、としているから、流感を例にして考えてみるに、「傷寒(流感)の熱は深くかくれて容易に発熱しにくい」、ということは納得できない。
②『講義』(11頁)では「熱のすでに発現する者あり、未だ発現せざる者あり」、とあるだけで、何の問題意識もないようである。①と同じように未発熱を今はまだ発熱していないがあとで発熱すると解釈しているのは単純すぎるだけでなく間違った解釈である。已発熱とは第一条の状態(発病)からある時間を経過して今は発熱していることを示している。そうすれば未発熱は一定の時間を経過しても、今なお発熱していない、というのだからこの人はすでに陰病になっていると見做すべきであり、あとで発熱することはもう起らない、と考えなければならない。
③『文章』では「この発熱は位を異にする訳で、其位とは脈の次に陰陽とあるから陰位と陽位とを指していることが明瞭である。而して悪寒の上には必ずという懸断の辞を冠しているから、陰証の場合にも、陽証の場合にも必ず悪寒はあるものだと決定している」、と論じている。この解釈で良いのだが、第一条から一定の時間を経過しているという観点がないのが惜しい。
 次にという副詞は、間違いなくという意味で、「悪寒、体痛、嘔逆」の全部にかかっている。体痛とは『解説』(140頁)に「インフルエンザ、急性肺炎、チブスなどでは発病の比較的初期に肩とか、腰とか、四肢などが痛む」ことであるとしている。嘔逆は「腹の方からムカムカとして吐きそうにつきあげてくる状態」としている。『傷寒論文字攷』(伊藤鳳山、一八五一年)では「嘔逆は成本では嘔[口逆]となっているという。[口逆]は[口+逆-しんにょう]と同じてあり、嘔のことであるから同義連用句である、上逆の逆と混同してはいけない」、と論じている。面白い意見である。
 したがって必ず以下は、陽病の場合でも陰病の場合でも間違いなく悪寒、体痛、嘔逆という悪い激しい症状が出るのが傷寒である、という意味になる。
 最後の脈陰陽倶緊の解釈も色々ある。
①『集成』では「陰陽倶の三字は王叔和の攙入する所なり、よろしく刪るべし」、と簡単に処置している。うまく解釈できなかったからであろう。
②『解説』(140頁)では「脈を診るときに指を軽くあてて陽をうかがい、指を深く沈めて陰をうかがう。そこで傷寒では、指を軽くあてた場合も、深く沈めた場合も、ともに緊の脈を呈する。陰陽ともに緊とは傷寒では表の邪が裏(内臓)にまで変化の及んでいることを示している」、と論じていて、脈陰陽を「脈の陰陽」と解釈している。『傷寒論文字攷』では陽脈は人迎跌陽の脈、陰脈は寸口の脈のことだとしている。これに対して『文章』では「脈の陽陰をいうもの全篇八条あり、中三条は仲景の正文でないことが明確のもの、他の五条が問題になるが、その何れの場合に於ても候う処位の相違と解釈される理由がないのである」、と論じている。これでよいのだと思う。
③『講義』(11頁)では「此の陰陽は陰証陽証の義。故に陽証にありては脈浮緊に、陰証ありては脈沈緊との謂なり」、ときわめて明確に論じている。私はこの解釈がよいと思うが、『講義』では病気が陽病と陰病に分裂するという観点が少しもないようである。
④その点では『文章』が最も良い。「第三条は太陽傷寒の凡例を示すと同時に、傷寒一般の凡例を示し、傷寒一般は病邪が中風に比して深激酷烈であるから、陰陽の二途にわたって進展し、先づ悪寒発熱し、すでに発熱するに至って体痛、嘔逆して脈浮緊のものは病邪が陽位にある場合の傷寒、悪寒のみで未だ発熱に至らないのに体痛、嘔逆等が現われ、脈が沈んで緊張せるものは病邪が陰位にある場合の傷寒である、という意味を説明しているのである」。これで大体良いのであるが、私に言わせれば二箇所なおしたい所がある。第三条は太陽傷寒と傷寒一般を論じているとあるが、太陽傷寒と少陰傷寒を論じている、即ち傷寒が陽病と陰病に分裂することを論じていると表現したら一層わかりやすくなる。また傷寒は陰陽の二途にわたって進展すると言うときの陰は陰病のことでなく身体の内部、陽は陽病のことでなく身体の表面をさしている。これが陽位、陰位と表現した理由である。
ところが嘔逆しても病邪が陽位にあるというのはおかしいのであって、これが陰陽二途にわたるという表現の意味でなければならない。そうではなく陰陽を傷寒論で使用されているように陰病、陽病の意味にとるならば、このような矛盾は生じないのだが、今度は陰陽二途にわたるという表現が不適当になる。それ故条件によって陰陽のどちらも進展するものであると言うべきである。そうすると第三条を次のような構成で示すことができる。

 已発熱                 脈緊……陽病
         悪寒体痛嘔逆  
 未発熱                 脈緊……陰病

②の解釈と③の解釈は陰陽を脈とするか証とするかの違いだけでなく、という副詞も問題になる。「ともに」という漢字は倶と共がある。倶発という言葉があり、広辞苑では「一時に発生すること、一時に発覚すること」と説明してある。これはいくつかの事柄が一緒になって発現することではなく、それぞれが別々にではあるが同時に発現することを意味している。このように倶には別々のものという意味がある。これに対して共犯とは「数人が共同して犯罪行為をなすこと」、共同は「二人以上の者が力を合わせて事を行うこと」、共生、共棲は「ともに所を同じくして生活すること」でわかるように、共には一緒になってという意味があるのである。倶には一緒になるという意味がない。南朝宋代の「世説新語」の「王子猷子敬倶病篤。而子敬先亡。子猷問左右。何以都不聞消息。此已喪矣」を吉川幸次郎氏は「王子猷と子敬とが何れも危篤であったが、子敬が先ず亡せた。子猷が近侍に問うには、まるで便りを聞かぬのは何としたことであろ乗。こりゃもう死んだわい」と訳している。この倶の使い方である。陽病の場合も陰病の場合もそれぞれ脈が緊であるというのだから倶を用いるのである。表の邪が裏にまで及んで全部の脈が緊になっているというときは倶でなく共を用いなければならない。
 第三条では汗について言及していない。それば何故であ犯うか。『講義』(11頁)では「此の証、固より汗無き者なり。然るに前章(第二条)に於ては汗出でと言い、而して此の章(第三条)に汗無きを言わざるは、此れ前章の汗出づに因りて、其の汗無きを省略し、兼ねて又脈緊を以て汗無しを言外に含めるなり」、と論じている。『解説』、『入門』、『弁正』でも同じ論法を使っている。しかし第二条と第三条が互文の関係にあるならば、第三条に無汗がないのはおかしい。暗示しておく程度の問題ではないのである。
 私は第三条は無汗の場合と、汗出の場合の両方を論じていて、汗のことを一義的に表現することができないから省略したと見ている。即ち発熱悪寒し脈浮緊の場合は無汗であり(太陽病)、発熱せず悪寒し肌沈緊の場合は汗出である(少陰病)。
 ところで第二条で感冒、第三条で腸チフスの病名をあげているのは軽症と重症の一例としているのであるが、四百四病のうち、この二病が代表となりうる資格は一体何なのであろうか。これについて考察した文章に私はまだ回り会っていない。私は難経の五十八難を読んでいたときに、問題に気づいた。「傷寒に五あり。中風あり、傷寒あり、湿温あり、熱病あり、温病あり」、という部分である。熱性病に五種類あるということは沢山あるということである。その中でも傷寒と中風がはじめに現われているのは偶然であるとは思われない。傷寒論の体系が素問の体係と関係をもっていることを感じないわけにゆかない。私は傷寒と中風が(+-)の型の病気の代表であり、温病と熱病が(++)、湿温が(--)の型の代表としてここに並べられたと理解している。そうすると傷寒論は(+-)を中心にして、病気の進展あるいは誤治による変化の経過中に(++)と(--)に言及しているので、病気のすべての型を含んでいることになり、これが後に万病の治療法を述べたと表現する論理的根拠になっていると私は考える。
 重症と軽症についてはじめに論じているのは、医者の立場として、まず病気の軽重を知り、心構えをきめなければならないからである。そして重症の場合には陰病にすぐ進むこともあることを第三条で示したのである。中風は軽症であるから、その心配は比較的少ないので第二条では陰陽に分裂することを示していない。しかしこれをもって中風は分裂しないと考えることは間違っている。『文章』で「中風なるものは其性質良性軽症で、病が陰陽二途にわたって進展するものでなく、如何なる重篤なるものと雖も、太陽から少陽、少陽から陽明に至って其病が極まるもので、誤治するにあらざる限り、陰位にわたらないのである」、と論じていることは第四条を正しく解釈できないことと関係がある。中風といえども、体力の強弱によって陰病になりうると考えた方がよいのである。
 『講義』(12頁)は「以上の三章は一節なり。首章に於ては、先づ太陽病の地位及び要領を論じ、第二章、第三章に於ては、中風、傷寒の区別を明らかにし、而して各々其の大綱と為すなり」、と論じ、『文章』もまた以上の三条について議論を展開しているように、古来、中国でも日本でもこの三条が太陽病の基本を論じた部分であるとされている。しかし私は第四条までがその基本を論じた部分であると考えている。



『傷寒論再発掘』
3 太陽病、或己発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒。
  (たいびょうびょう、あるいはすでにほつねつし、あるいはいまだほつねつせず、かならずおかんし、たいいたみ、おうぎゃくし、みゃくいんようともにきんなるもの、なづけてしょうかんという。)
  (太陽病で、すでに発熱しているものでも、まだ発熱していないものでも、とにかく、悪寒して、身体が痛んで、嘔逆して、脈が、陰病に進もうとも或いは陽病のままであろうとも、どちらでも、緊であるものを、名づけて、傷寒と言う。)
 この条文は、太陽病の中の「傷寒」と言われる病態の定義となっている条文です。「脈緊」というのは、すでにこの前の条文に出た「脈緩」と正反対で、脈の緊張が強いかんじのものです。
 前の条文の「中風」の時の症状に比べて、悪寒や身体痛や嘔逆まであったりして、いかにも重症な感じがします。現代でいう「病気」そのものが悪性であるのか、或いは病気は同じものでも、患者の体質(反応性)の違いで症状に違いが出てくるのか、どちらとも言えないことですが、とにかく症状として重症に見えるものは「傷寒」として対応し、軽症に見えるものは「中風」として対応していたことと推定されます。
 「中風」と「傷寒」が一応、第2条と第3条とで定義されたわけですが、幾何学の定義の如く厳重なものとは思わない方がよいでしょう。古代では、どんな病気であろうとも、個体全体にあらわれた症状や症状群の上から、病気の性質についても推定していただけですから、あまり厳重に定義してみても、それほど意義があったとは思えません。
 これから出てくる条文の中で、「傷寒」と「中風」が対立的に使用されている場合は、重症なものと軽症なものとの区別があるようですが、「傷寒」のみが使用されている時は、もっと軽い意味であると思われますので、「病気になって」というように、軽く訳していくことに致します。


『康治本傷寒論解説』
第3条
【原文】  「太陽病,或己発熱,或未発熱,必悪寒,体痛嘔逆,脈陰陽倶緊者名曰傷寒。」
【和訓】  太陽病,或いはすでに発熱、或いは未だ発熱せず、必ず悪寒、体痛嘔逆し、脉陰陽倶に緊なるものを名付けて傷寒という.
   注:訳文をイロに分かち,イには「無汗」を挿入,「陰陽倶」の三字を除き、ロでは「緊証」を挿入します.


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年8月8日土曜日

康治本傷寒論 第二条 太陽病,発熱,汗出,悪風,脈緩者,名為中風。


『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発熱、汗出、悪風、脈緩者、名為中風。

[訳] 太陽病、発熱し、汗出で、悪風し、脈緩なる者、名づけて中風と為す。

 冒頭に「太陽病で」とあるのだから、第一条をうけて脈浮、頭項強痛していることはいうまでもない。しかし、一番はじめに「発熱し」とあるのは第一条の時よりさらに病気が進行して、悪寒だけでなく熱感も覚えるようになっていることを示している。しかも次の汗出、悪風という症状よりも重要であるから最初に発熱としたのだから、「太陽病の場合は発熱より悪感が大切である」というように傷寒論は書かれていないことは明らかである。
 発熱は体温の上昇を指している表現として現在使用されているが、体温計を発明したサントリオ(Santorio, 1561~1636年)は、ガリレオ(1564~1642)と同時代人であり、ガリレオの原理即ち測定をはじめて医学に導入して体温の測定を試みたのであるから、これよりもはるかに古い時代では発熱といえば自覚症状としての熱感ということになる。それだからこそ自覚症状である悪寒との対立概念として傷寒論の中で展開されたのたのである。
 「汗出で」とは汗が流れるように出ることではなく、皮膚が汗ばむことである。「悪風し」とは風にあたるとゾクゾクしていやなさむけを感ずることである。「脈緩」とは脈がゆったり打っている状態で、ここでは第一条をうけて浮緩である。そして汗出、悪風、脈緩は無汗、悪感、脈緊とちがって病状がおだやかであることを示していて、第三条と互文の関係となしている。以上の症状群をあらわすとき、それを中風(ここでは感冒)と名付けると文を結んであるのは、感冒のように軽症、良性の熱性病であるというのである。
 中風という病足は金匱要略では第五篇が中風歴節病を論じていて、この場合は「夫れ風の病たる、まさに主身不遂になるべし」とあるように脳出血のことである。中国ではこれを内風による、感冒のときを外風(外感風邪)によるとして区別している。中という字は物事の中央を上下に貫ぬいている形であるから、中風は風(風邪)に中ると読み、第三条の傷寒より軽い意味になっている。

『傷寒論再発掘』
2 太陽病、発熱、汗出、悪風、脈緩者、名為中風。
  (たいようびょう、ほつねつ、あせいで、おふう、みゃくかんのもの、なずけてちゅうふうとなす。)
  (太陽病で、発熱して、汗が出て、脈が緩の者を、名づけて、中風とする。)
 この条文は、太陽病の中の「中風」といわれる病態の定義となっている条文です。「脈緩」というのは、脈の緊張が弱く、弛んでいる感じで、このあとの条文に出てくる「緊」と反対の状態です。「悪風」というのは、風にあたると寒く感じるので、それを嫌う状態であり、その程度の甚だしいものを「悪寒」といいます。
 この条文の表現とするところからみて、かなり軽症の状態であることがわかります。同じ病にかかっても、病い場合と重い場合とがあることは、普通に体験されることです。軽い場合は、薬など使わなくても自然に治ってしまうこともしばしばですので、あまり論じられることもないでしょう。「原始傷寒論」では主として重い場合、いわゆる「傷寒」について論じられているわけですが、軽い場合についても、若干、触れられているわけです。

『康治本傷寒論解説』
第2条
【原文】  「太陽病,発熱,汗出,悪風,脈緩者名為中風.」
【和訓】  太陽病,発熱,汗出で,悪風し,脉緩なる者を名付けて中風となる.
     注:本条には,太陽中風と三陰三陽を通じての中風の二つの定義を含んでいるので,訳文をイとロに分けることにします。
【訳文】  イ太陽病で,発熱悪風し,汗が出て,(頭痛域いは項強のような表熱外証があって)脉が(浮)緩の場合を(太陽)中風という.
     注:ロの場合は,「脉緩者名為中風」に次条より「陰陽倶」の三字を借用して「脉」と「緩者」の間に挿入して訳文します。
      ロ脉が三陰三陽(太陽病,陽明病,少陽病,太陰病,少陰病,厥陰病)を通じて何れの場合でも,緩(非緊張の)脉で(緩緊証も緩証・過多排泄症候で)ある場合を,中風(緩病)という.
定義条件の分類
 ③ 緩緊脉証 緩
 ④ 緩緊証  緩証(自汗,下痢,小便自利)
【解説】  この条と次条では,急性疾病における二つの体質的な違いについて,先ず太陽中風(肌熱緩病)の定義を下し、それを二陽三陰に例しています。

康治本傷寒 論の条文(全文)

2009年8月3日月曜日

康治本傷寒論 第一条 太陽之為病,脈浮,頭項強痛而悪寒。



『康治本傷寒論の研究』
太陽之為病、脈浮、頭項強痛而悪寒。
 [訳]太陽の病たる、脈浮、頭項強痛して悪寒す。
 冒頭の「太陽の病たる」という表現は、「太陽病とは」、という軽いものではなく、「そもそも太陽病というものは」、という重々しい表現なのである。そこで古来この第一条は太陽病の大綱をのべたものとされている。『解説』(135頁)では「傷寒論で太陽病と呼ぶ病気がどんなものであるか、この章(正しくは条)でまずその大綱を明らかにしたものである」といい、『講義』(8頁)では「この章は本論の首章(正しくは首条、集成でも弁正でも条を用いている)にして、又太陽病の提綱なり。故に先づ太陽病の意義及び地位を明らかにして、以て其の大綱と為す」、といい、『文章』では「第一条は太陽病の総綱である」、と皆同じ解釈をしている。
 ところで太陽病、即ち陽病で最も重要な自覚症状は熱感を覚えること(発熱)である。そして陰病のそれは寒けを覚えること(悪風または悪感)である。このことを『弁正』では「三陽はこれ熱を主る也」、「三陰はこれ寒を主る也」と表現したのである。そうならば太陽病の大綱をのべた第一条で何故にこの重要な発熱について言及していないのであろうか?
これについては色々な理屈が述べられている。
①『集成』では、第三条の太陽病傷寒の初証に「或はすでに発熱し、或はいまだ発熱せず」とあるように、発熱のある場合とない場合があるので、第一条では発熱を言わないという。これは第三条のところで詳しく説明しなければならないが、とにかく第三条の誤読によるものであるから問題にならない。
②『入門』(33頁)では「悪寒は表証であって、陽証においては太陽に独特の証候」であるから「綱例に発熱を措いて悪寒を挙げ、以て太陽の標準となす所以なり」という『弁正』の説を引用している。しかし小柴胡湯証にも白虎加人参湯証にも悪寒は存在するので、太陽病に特有なものではない。また「単に脈は浮なりなりというだけで、発熱なる証候は予想されているのである」(32頁)とも論じているが、最も重要なものを暗示するにとどめる理由にはならない。
③『文章』と『講義』では第一条から第三条までが組になって太陽病の全体を説明しているのだから、第一条では発熱を暗示してこれを略し、その代りに第二条第三条で冒頭に発熱をあげている、と説明している。三個の条文が組になって太陽病の大綱が明らかになるというのであれば、第一条は大綱を示すと規定したことに反することになる。重々しい書き出しにもかかわらず、内容が不完全だというのならば、文章論としておかしなことになる。
④『解説』(136頁)では「発熱は太陽病の重要な目標であるのに、なぜこれを挙げなかったのであろう。……通常、悪寒が先行して、或る間隔をおいて熱感をおぼえる。……悪感のあとに発熱の来ることを予想しているのである」、と説明されている。この説明が私には最も良く理解できる。太陽病は悪寒からはじまり、その後に発熱する。しかし発熱する前から脈が浮になっているから、後で発熱することを予想できるのである。このように解釈することは、第一条は太陽病のはじまりを論じていることになり、太陽病の大綱や総綱を論じていないことになる。ところが『解説』でははじめに大綱だといい、あとではじまりだという。これを両立させることは論理的に不可能であるから、どちらかにしなければならない。
 以上の根拠から、私は第一条は太陽病の大綱をのべたのではないと見做している。それならば何故冒頭に太陽之為病という重々しい句をつけたのであろうか。この矛盾を解決するためには、陽病や陰病についての基本的な考え方が別にあると考えなければならなくなる。しかもそれは傷寒論を隅から隅までしらべても見出すことができない。
 この問題の解決に役立つ文章を私は霊枢の第十巻、百病始生第六十六の中に見出した。「黄帝、岐伯に問うて曰く、夫れ百病の始めて生ずるや、皆風雨、寒暑、清湿、喜怒より生ず。喜怒して節せざれば則ち蔵を傷る。風雨は則ち上を傷る。清湿は則ち下を傷る。云々」、という文章の中の「風雨則傷上、清湿則傷下」というところである。即ち外邪は体内に虚なるところがなければ侵入できないものであるから、虚なるところを持つ人が風雨におそわれるとその邪(陽邪)は上から侵入して下方に向って進み、清湿におそわれるとその邪(陰邪)は下から侵入して上方に向って進むというのである。前者が陽病であり、後者が陰病である。
 陽病は上から下へ進むのであるから、陽病のはじまりの太陽病は、身体の一番上に現われる自覚症状としての頭痛、項強(うなじがこわばる)からはじまるのである。そして傷寒論の体系の中心にすえられた対立症状である発熱と悪寒については、悪寒からはじまり、発熱は後で生ず識が、まだ発熱していない時でも脈をみて、それが浮であればやがて発熱することを知りうる。これだけの認識を文章にしたのが第一条なのである。
 ところで陽病の邪は上から下へ進むということは、病原菌を発見するよりもはるかに昔のことであるから、あらわれた症状によって病気になったことを判断することになり、陽病ははじめに症状が上部にあらわれ、次第に下方の症状に移るということになるのである。
 傷寒論(康治本も宋版も)には上下という表現はなく、表裏、内外という言葉が使われているので、今までは誰一人として上下の概念を使用しなかったが、この概念を導入しなければ説明のつかない条文が実は沢山あるのである。
 また霊枢の文章を引用したことに疑問をもつ人も多いであろう。霊枢は針灸の書物であって、湯液療法とは別物だと考える人もいるであろうし、また素問・霊枢は黄河流域を背景に発達した医学に属し、これに対して傷寒論は長江流域または江南地方を背景にして形成された医学であり、両者は異なった世界観をもつ別々の体系をなしたものである、という考えに賛成す識人も漢方の世界には多いからである。これについては私は「傷寒論医学の発生地」(和漢薬、一八七号、一九六七年十一月)と題した論文で批判しているが、ここでは再論せず、ただこのようなつまらない説に拘泥していると広い視野をもつことができなくなることを指摘しておきたい。

次は「頭項強痛」という句について考えてみる。これは頭痛と項強であることに異論はない。項は後頸筋即ちうなじ、強はこわいこと即ちこわばること。したがってこの四字は次のように配列していることになる。


頭項強痛

 これについて『講義』(9頁)では「古書には多く斯く如き句法有り」とあり、『集成』ではさらにくわしく「これはけだし文の一体なり、なお車馬羸敗(後漢書羊続伝)、耳目聾瞑(晋書山濤伝)と称するがごとし」と説明しているだけで、語順を入組ませた積極的な理由をのべていない。
 千金方や外台秘要をしらべてみると、むしろ、頭痛、項強と表現した条文の方が多いのであって、中国人の習慣として頭項強痛と表現したものではないことがわかる。千金方の巻九には
①治傷寒、頭痛項強、四肢煩疼、青膏方。
②赤散、治傷寒、頭痛項強、身熱、腰脊痛、往来有時方。
というような条文がいくつか見出せる。そうすると傷寒論の著者(張仲景のことではない)は何故頭痛項強という表現を使用しなかったのであろうか、ということを考察しなければならないことになる。
 文章によってある事を論ずるときには適切な言葉をえらぶのにことのほかに、言葉の順序というものが重要である。ことに少ない語で多くを語ろうとする古文の場合にそれが顕著にあらわれる筈である。例えば孫子の始計第一に「将者、智、信、仁、勇、厳也」とある場合、将とは厳(威厳)によってまずその優劣がきまると読む人はいないだろう。将とは智(事理に明らかなこと)によってまずその優劣がきまる、と読まなければならない。つまり重要度の順に配列されているのである。
 傷寒論をつくる立場の人になったと仮定して考えてみると、太陽病に関係のある症状として頭痛、発熱、項強、悪感、咳嗽がすべて存在する場合に、その順序をどうすれば的確に表現できるかという点に大いに頭を悩ますであろう。頭痛、項強とならべると頭痛をより重視した印象を与える。こ英両者に同じ程度の重要性をもたせようとすれば頭項強痛としなけらばならない。
 このような特殊な表現法がさらに重要な意味をもってくるのは実は第五条第六条との関連においてである。
第五条  太陽病、頭痛、発熱、汗出、悪風、桂枝湯、主之。
第六条  太陽病、几几,反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯、主之。
この両条を比較してみると第一条の頭項強痛がふたつに分裂して第五条第六条に夫々使用されているのだから、ここで病気が分裂することを示したことになるのである。そして第一条は分裂する前の状態を表現しているのである。
 次は最後の「而悪寒」を考えてみる。中国の古文においては接続詞は甚だ重要な役割をもっている。而という接続詞を英語の and のようなものと見てはいけないのである。第一条から而を除いて「脈浮、頭項強痛、悪感」としれば、最後に置かれた悪寒は多くの症状の中のひとつというだけで軽く扱われたことになる。ところがさきに記したように、太陽病は悪寒からはじまるのだから、悪寒は極めて重要な症状である。そうだからと言って悪寒を一番前に置くと、陽病を論ずると言うよりもむしろ陰病を論ずる形になってしまう。太陽病の一番重要な症状である発熱の位置をおかしくしてはならないのである。このような時に接続詞をつけて「而悪寒」として文の最後につけると、読者はこの悪寒には特別な意味があることがわかるのである。
 私は以上のように解釈しているが、ここでもまた色々な解釈が可能である。
①『文章』では「この而の字は、強痛と悪寒の動詞の間にあって、之を接続しているから、この悪寒が脈浮、頭項強痛と関連しての悪寒で、孤立した悪寒ではない。孤立した悪寒は傷寒論では陰病の徴証とするのであるが、今はここに而の字を置いて脈浮、頭項強痛と関連しているから発揚性の悪寒である。即ち悪寒と同時に必ず発熱を伴う悪寒となることを示しているのである」、となっていて悪寒が発熱に先行する事実を認めていないし、孤立した悪寒とか発揚性の悪寒という論法はこじつけに近い。
②『講義』(9頁)では「蓋し悪風寒の証たる、陰証、陽証共に発する所なり。而して之を弁別する所以は、脈浮、頭項強ばり痛むと否らざるとに在り。故に而の一字を挿みて上句に接続し、以て其の陰証の悪寒に非ざるを明らかにす」、と論じているが、而の一字が無くてもよいのではないか。「今先づ陽証の初発にして、未だ発熱するな至らざる者を挙げ」と言うところは正しいが、「而して此の悪寒に続いて発熱す可きは、自づから之を言外に含蓄す」、は間違っている。言外ではなく、はっきりと脈浮という句でそれを示している。
③『解説』(137頁)では「脈浮、頭痛、項強の三つが揃っていても、悪寒または悪風のないものは太陽病と呼ぶことはできない。傷寒論の原文では、これらの症状と悪寒との間に而の字を入れて、悪寒が特に重要な症状であることを示している」、と論じ、(136頁)では「もし熱があっても悪寒を伴わなければ太陽病ではない。だからこの場合は発熱よりも悪寒が大切である」、という意味に而を解釈している。『弁正』で「悪寒を以ってこれ太陽の標準となす也」、というのと同じであるが、両者とも奇妙な論法というほかない。
 純粋に理屈だけで考えた方がわかりやすい。熱感を(+)、悪寒を(-)で表現するとき、(+)と(-)の組合わせは次の三個以外に存在しない。
        (++)…熱寒だけで悪寒はない
        (+-)…発熱と悪寒
        (--)…熱寒なく悪寒だけ
ここで(--)は陰病であることは明らかであるから、そうすると陽病には(++)と(+-)の型が存在することになる。
 第二条の太陽中風も、第三条の太陽傷寒も(+-)の型に属することは明らかであるが、傷寒論にはこれ以外に太陽病の型は存在しないとはどこにも書いていない。むしろ宋板には「太陽病、発熱而渇、不悪寒者、為温病」、という条文があり、(++)の型の太陽病が存在することを明記してある。これを認めるならば太陽病では発熱よりも悪寒が大切などという理屈は成立しないことがわかるであろう。

『傷寒論再発掘』
1 太陽之為病、脈浮、頭項強痛 而、悪寒。 
   (たいようのやまいたる、みゃくふに、ずこうこわばりいたみて、おかんす。)
   (太陽の病というのは、脈が浮で、頭が痛み、うなじがこわばって、悪寒するようなものを言う。)

 これは「太陽病」というものを定義している条文ですが、幾何学の定義のように厳密なものではなく、むしろ、「太陽病」というものの基本的な特徴をあげて、そのおおよその姿を示しているものです。
 感冒にかかった時など、さむけがして、頭痛がしたり、首すじがこったりすることは現在でもよく経験されることです。こういう病の初期の姿を「太陽病」の特徴として把握し、簡潔に条文にしているのです。「脈浮」ということは、指を軽く乗せただけでも脈拍を感じる、触れやすい脈になっていることです。発熱して、心臓の鼓動が早く大きくなると、普段よりも脈が触れやすくなります。典型的な場合は確かに「脈浮」となりますが、実際は、常に「脈浮」になるとは限らないように思います。
「太陽病」というのは、一般には、病の初期の病態のことと理解していればよいと思われます。この第1条でも、論議をすれば誠にきりがないものになります。興味のある人達は、その他の成書を見てください。
 
『康治本傷寒論解説』
第1条
【原文】  「太陽之為病,脉浮,頭項強痛而悪寒.」
【和訓】  太陽の病たる,脉浮,頭項強痛して悪寒す.
【訳文】  太陽病とは,脉は(有熱性)浮脉で,頭痛域いは項強のような表熱外証があって、更に(発熱)悪寒する場合をいう.
定義条件の分類
 ① 寒熱脉証 浮
 ② 寒熱証  発熱悪寒
 ⑤ 表熱外証 頭痛域いは項強のような
【解説】  傷寒論では,病期を6期に分けて解説をしています.このことはハンス・セリエ博士の「ストレス学説」の警告期,を含んだ抵抗期が傷寒論における三熱病に対応し,敗退期がそれぞれ傷寒論にお各る三寒病に対応しています.この条は,三熱三寒のうち病が始まるところ,すなわち太陽病を①寒熱脉証,②寒熱証,⑤表熱外証(特異症候)の3つの条件で定義をしています。
【句解】
 頭項強痛(ずこうきょうつう):頭痛,項強の意味.「後漢書」には車敗馬羸といって車馬羸敗(敗戦の意)のことをいいます.また「晋書」には耳聾目眩といって耳目聾眩というのと同文法です.したがって,頭項強痛は頭痛域いはうなじが強ばったという意味になります.

『康治本傷寒論要略』
第一条
「太陽之為病脉浮頭項強痛而悪寒」
「太陽の病たる、脈浮、頭項強痛すれども悪寒す」

 ①「太陽病」:陰陽説(中国の紀元前には既に陰陽説という立場で対立概念を使って物を見ようとする論理性が出来ていた)の陽に所属する病気のこと。これはまた病気したときに熱を出す。つまり発熱するときが陽である。それに対立する陰というのは悪寒である。つまり寒気(さむけ)がするのである。これが対立概念になる。
 ②太陽病というのだから、陽病の一番初めの状態である。その状態が、脉を診ると浮いていて、頭痛がして、項が強ばっていて、そして寒気(さむけ)がすると書いてある。
 寒気がするというのは、陰陽説から見ると陽の対立概念になるので、熱とは反対概念になる。陽とは反対の性格の症状だから、「而」という接続詞は逆接に読むことなる。つまり陽病の始まりだから、症状がみな陽の性格かというと、そうではない。反対の陰の性格を持った悪寒が初めから出てくるのだ、ということである。そのときにはまだ発熱していないのである。発熱がまだ表に出ていない。悪寒だけが表面に出てきている。
 しかし表に出ているから一番重要であるが、それを文章の一番初めに出したらそれは陰病の文章になってしまう。しかし一番下に置いたのでは軽く見られて無視されかねない。従って「而」を使って、一番最後に「悪寒」を置いたけれども、これは極めて重要な症状であることを読者に気付かせる一つの手法である。そのための言葉の順序なのだと理解できる。
 ③「脈浮」:脈は普通は寸口脈といわれている。宋板傷寒論第3編18条に「寸口脈浮為在表」(寸口の脈、浮なるものは表にありとなす。)とある。また同書同篇の傷寒例13条「尺寸倶浮者、太陽受病也」(尺寸、倶に浮なる者、太陽病を受ける也)とある。だから「脈浮」ということで表に病邪がある状態、表に病邪があるものを太陽病と呼ぶ、と説明している。したがってまた、表に病邪があって脈が浮いているときには発熱しているのだから、発熱という言葉が第1条になくても発熱があるということは解るはずたとする解釈もあるが、疑問に思う。
 ④「頭項強痛」:これは頭痛と項強の二つの症状を意味する言葉であることは、皆認めるところである。しかし何故、頭痛・項強と並べて書いていないのか。古い文献では頭痛・項強と並べて書いてあるものもあるのにかかわらずである。
 古文では最重要な言葉が一番初めに出てきて、順次軽い言葉が置かれるようになっている。ここで「頭痛項強」に数字を当てはめれば、頭(4)痛(3)項(2)強(1)となる。頭痛:4+3=7、項強:2+1=3とな責、当然頭痛が項強よりも重要となる。
 ところが「頭項強痛」と並べると、頭痛:4+1=5、項強:3+2=5となって、頭痛と項強が対等に重要であることが解る。
 頭項強痛だから余計に頭痛と項強という症状を入り組ませた表現を使った理由について、考えなければならないのである。
 こういうことを配慮しない文章を例示する。唐代の『千金方』に「傷寒、頭痛、項強し、四肢煩疼を治す。青蒿方」とある。ここでは「頭痛、項強」と入り組ませていない。つまり文章として複雑な内容を表現する必要のないときには、この表現でよいのであって、「頭項強痛」と入り組ませたのは、それだけの考えを要求している。つまり読者に考えて欲しいためにこういう強調した文章としてのである。「頭項強痛」でも「頭痛項強」でも同じだとする考え方は、上のような背景を無視しているのである。
 ⑤「而して悪寒す」:上述したように、陽病はここから始まるのだが、この時点ではまだ発熱していなくて、悪寒が先ず出てきているが、脉が浮だから時間が経過すると発熱してくることを示している。それは第2条に移ると「太陽病、発熱して~」と、陽病の一番重要な目印となる「発熱」が一番初めに置かれている。第1条に発熱が書いていない理由を、脉が浮いてい識から発熱しているはずだとする解釈もあるが、それは古文に対するその人の解読力の差であろう。
 ⑥「而」:接続詞としては順接と逆説がある。順接として使用されているのが多い。例えば傷寒論英訳「Treatise on febrile diseases caused by cold」(寒によって引き起こされた熱性の病気の論文)があるが、その第1条は「A floating pulse, headache, still neck, and a feeling of chill are always the general symptoms and signs of the Taiyang syndrome」。浮いた脉、頭痛、強ばった項、そして寒気を感じるのは常に太陽病の一般的症候群であるし徴候群でもある。となっている。
 「and」だから、「而して」は順接としての使い方であり、逆説は全く考慮されていない。これでは「而」がなくてもよいことであって、何故「而」が入れてあるかなどとは、全く関係のない書き方になっている。しかし原文で「而」を入れてあるのは、この「而悪寒」は特別な意味があることを気づかせるためなのである。それを読みとらねばならない。ここに中国の古文の難しさがある。これによって熱感よりも先に悪感が出てくると読むことができる。
 ⑦こういう古文章としての読み方をすれば「太陽之為病~」は太陽病の大綱を述べたのではなく、太陽病の初期状態を述べた文章だと理解できる。そうすると「少陽の病為る~」や「陽明の病為る~」の場合も、大綱を述べたものではないことが理解できる。
 第1条に書いてある症状の頭痛・項強(あるいは発熱)は表症だと言う人もいる。しかし傷寒論では表・裏・内・外等の言葉の説明は全くされていない。これが古文の特徴である。従ってこれらの言葉が使われている条文を解釈するのに、一番合理的に説明できるものを見つけ出していくしか方法はないと思う。
 私は、長沢先生の解説を採用する。
 人間の体を横から見ると横隔膜のところを中心にしてAのところに症状が出ているときにこれを表と言っている。頭痛や項強などは表に属する。決して体の表面という意味にはならない。
 Aが表ならBは裏、Cが内、Dが外となる。傷寒論の全文章を通して表という言葉を使っている文章が、全部合理的に説明できる解釈が、正確に最も近いものとなる。そういうつもりで一つ一つの術語から調べていかないと傷寒論は読めなくなるところに傷寒論という医書の難しさがあると思う。

康治本傷寒論の条文(全文)